常設校舎の行橋移転

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 昭和一〇年頃、行橋-豊津線、現在の国道四九六号線の拡幅・新設工事計画が発表され、豊津の堺利彦農民労働学校常設校舎は、ちょうど道路新設予定区域に組み込まれたため、校舎移転を余儀なくされた。同年三月一日、全農京築委員会は校舎を行橋に移転し、豊前農民会館として再建することを決定した(『農民運動(三)』)。全農福岡県連(書記長藤本幸太郎)、旧社民党系日本農民総同盟田川支部(支部長許斐親三郎)、社大党京都郡支部(支部長牧野渡)の三者により豊前農民会館建設委員会(委員長田原春次)が結成され、昭和一二年九月二一日、常設校舎の行橋町大橋移転が完了し、豊前農民会館として再建された。