政府は、中国大陸での戦争遂行のため国内の戦時体制固めに躍起となり、同年八月、国民を戦争に向けて糾合させる「国民精神総動員実施要綱」を定めた。一〇月には「国民精神総動員中央連盟」が組織され、官民諸団体などが中心になって国民精神総動員を始め、国民の士気を鼓舞した。さらに翌一三年四月には、国民と物資を統制することのできる権限を政府に与えた国家総動員法が公布された。
かくて資金・物資はもちろん、交通や通信機関などの統制・動員のほか、徴用した国民の労働条件の規制、さらには言論統制に及ぶまで広範な統制、動員が勅令一つで次々と発動され、国民生活をしめつけていった。
当初は神社参拝、戦勝祈願、勅語奉読、応召軍人や入営軍人の見送り、戦没者慰霊祭への参加などが主であったが、戦費を賄うために、貯蓄や公債の割り当て、一戸一品献納の推進が叫ばれると共に、農業生産増強、米麦の供出、食料の配給、廃品回収、防空訓練など、次第に戦時経済、協力運動への参加を強制された。
国民は生活のすみずみまでもきびしく統制され、戦時体制に組み入れられた結果、庶民生活に大きな負担となってのしかかってきた。