日中戦争開始直後の昭和一二年一〇月、国民精神中央連盟が組織され、その後、戦争の長期化にともない新しい政治体制をめざす新体制運動が叫ばれ、その結果、昭和一五年一〇月、近衛内聞の下で大政翼賛会が結成された。これにより各政党は解党し、産業報告会、翼賛壮年団、大日本婦人会は統合された。会は「大政翼賛の臣道実践」を掲げて、道府県、市町村にもそれぞれ支部を置き、最末端は集落や町内、隣組にも設けられた。市町村段階では、市町村長か市町村議会長がそれぞれの支部長を務め、町内会長は世話役、隣組長は世話人にされ、町村の末端まで翼賛一色となった。
戦時体制の強化のために内務省は「市町村常会設置要綱」を府県に通達し、市町村では「隣保」組織として「隣組」が組織された。これは大政翼賛会の最下部の組織で、物資生産、配給、国防献金や公債の消費、供出、労務供出の割り当て、公的行事への参加、出征兵士の見送り、戦死者の遺骨の出迎え、防空演習、竹槍訓練などを規定づけたもので、庶民の私生活は大きく制限され、戦時体制に完全に組み込まれていった。