昭和一五年は皇紀二千六百年に当たるというので、一〇月には、全国各地で記念祝賀行事が繰りひろげられた。京都郡の各市町村でも奉祝式や旗行列、提灯行列などの奉祝行事が催された。中山グラウンドでは京都郡記念体育大会が行われた。日本人にとっては、皇紀二千六百年という神秘的な国家と歴史に信頼と期待をかけて、現状の打開と平和の到来を希求する運動であったに違いない。これに呼応して行橋町の青年団による「黎明運動」が活発化した。
この「黎明運動」は、青年団活動の一環として、挙国一致を揚げ、神社に参拝、町の美化、勤労奉仕などの実践を目標としていた。行橋町青年団では、毎月一日と一五日の文字通り夜明けに神社に集まり、参拝を済ませると、神社境内や公園、道路、川の清掃をしたという。