戦争の進行で生活物資は不足を極め国民生活は困窮の度を深めた。なかでも食糧の悪化は特に深刻だった。
昭和一六年四月から、米は配給制となり、麦やとうもろこし、大豆、じゃがいも、小麦粉、さつまいもなどで代用されるようになっていった。このため「代用食」という言葉が使われるようになった。
砂糖や味噌、醤油、食塩などの食料のほか、衣類や石炭、木炭、ガソリン、石鹸、マッチなどの生活必需品も配給制となり通帳や切符がなければ買えないほど統制が加えられた。「欲しがりません、勝つまでは」という標語が当時の世相をよく反映している。