軍事物資の不足を解消するため、昭和一六年九月、国は金属回収令を公布した。
製鉄に欠かせない屑鉄(スクラップ)の多くはアメリ力から輸入していたが、日中戦争の対日制裁として、アメリカは石油と屑鉄輸出規制を行った。このため、国民に金属類を強制的に供出させて、金属不足に対応することにしたのである。
この金属回収令によって特別金属回収運動が行われ、塀・柵・扉・シャンデリア・街路灯などの大物をはじめ、洗面器・茶器・置物・火鉢・灰皿などの小物までの金属類が回収された。
さらに翌年五月には、寺院・神社・教会などの梵鐘・祭祀用具さえも一切供出させられることとなり、各寺院や神社の梵鐘、灯籠、手水鉢などが次々に消えていった。