築城基地周辺地には、昭和一九年八月頃から本土決戦を想定して、敵の攻撃から大切な飛行機を護るための掩体壕が建設された。松原から稲童にかけて海岸の松林や小山の雑木は伐採され、掩体壕、誘導路、地下司令部が造られ、その作業には中学生や地元の人たちも多くかりだされた。
掩体壕とは、敵の攻撃から飛行機を護るための格納庫のことで、コンクリート製でトンネル状の天井をつけたものが七基前後、コの字状の土手で囲んだ天井のないものが一三基前後つくられ、陸上爆撃機「銀河」や夜間戦闘機「月光」などの小型機が格納されていた。
この掩体壕に飛行機を出し入れするための幅四〇メートルの誘導路も設けられたため、稲童地区は爆撃の目標になってしまい、戦争末期に激しい空襲を受けた。