いま一つの要因は、教育内容として西洋風のものが多く取り入れられたが、実生活とややかけ離れたものだったことから、知識人や一般民衆からも疑問の声が大きくなったことである。
新教育令の主な内容は、
1 | 新教育制度として実生活に即した学科・内容とし、その定着を図る。 |
2 | 小学校の就学の期間やその条件を緩和する。 |
3 | 教育行政を、住民から公選された学務委員によって管理・推進する。 |
4 | 学校を公立学校と私立学校に区別する。 |
等々、これまでにない、地方の権限を多く認める制度となった。
しかし、この制度には直ちに政府内でも異論を唱える者が多くなり、翌明治一三年一二月、これまでの教育令を改め「改正教育令」を公布した。これによって学務委員の公選制は廃止され、知事や県令による任命制となり、その職務内容も変化したが、いずれにしても学校教育の確立や普及に果たす役割は大きかった。
翌一四年に再度改正し、学務委員制を廃止して町村の学事は戸長に委ねた。また「小学校教則綱領」も制定し、小学校の修学年数を初等科三年、中等科三年、高等科二年の八カ年制とし、一年の授業日数を三二週以上、一日の授業を三~六時間とすることなどを定めた。