国定教科書の発行

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 明治五年、新政府はこれまでの藩校や寺子屋に変わる学校制度を発足させ、すべての学齢児の教育に取り組んだが、教科書についての特段の定めはなかった。とはいえ、文部省編纂の小学読本も発行されたが、各校が独自の教材で指導することが多かった。それらはどちらかというと欧米の著書を民間人が翻訳したものが多く、内容的にも日本の小学校には不向きなものだった。
 そこで明治一四年、文部省は「小学校教則綱領」を制定し、教科書の自由選択から届出制を導入するなど、徐々に国定教科書への歩みを進めてきた。とりわけ修身が全教科の筆頭に置かれ、続いて読書、習字、算術、唱歌、体操といった教科編成となった。このことからもわかるように、教育の基本を修身に置きながら、読み、書き、計算を軸とする学校教育となったのである。
 この修身重視の方針は、明治一四年六月に制定された「小学校教員心得」の第一条に、「教員は道徳教育に力を入れ、自ら生徒の模範となるように」という項目が取り上げられていることからもうかがい知ることができる。
 その後明治一九年、当時の森有礼文相は教科書の検定制度を導入し、検定済みの教科書でなければ使用できないこととした。こうして明治三七年四月からは、文部省作成の「国定教科書」が使用されることになった。
 この国定教科書制の確立によって、全国の小学校で全く同じ教科書が使用されることとなり、小学校教育は教科の目標ばかりでなく、教科内容までも国家によって定められることになった。その後、社会情勢の変化及び教育思潮の変遷、国家の要求などによって、教科書も五期にわたって大きな変遷をたどった。
 国語の国定教科書の移り変わりは次のとおりである。
 
国定一期(明治三七~四二年)イ、エ、ス、シ
国定二期(明治四三~大正六年)ハタ、タコ、コマ
国定三期(大正七~昭和七年)ハナ、ハト、マメ、マス
国定四期(昭和八~一五年)サイタサイタ、サクラガサイタ
国定五期(昭和一六~二〇年)ヘイタイサン、ススメ、ススメ

 
図3 国定教科書『国語』の移り変わり
国定一期(明治37~42年)
国定一期(明治37~42年)(イエスシ読本)国定一期(明治37~42年)(イエスシ読本)国定一期(明治37~42年)(イエスシ読本)国定一期(明治37~42年)(イエスシ読本)
(イエスシ読本)
国定二期(明治43~大正6年)
国定二期(明治43~大正6年)(ハタタコ読本)国定二期(明治43~大正6年)(ハタタコ読本)国定二期(明治43~大正6年)(ハタタコ読本)国定二期(明治43~大正6年)(ハタタコ読本)
(ハタタコ読本)
国定三期(大正7~昭和7年)
国定三期(大正7~昭和7年)(ハナハト読本)国定三期(大正7~昭和7年)(ハナハト読本)国定三期(大正7~昭和7年)(ハナハト読本)
(ハナハト読本)
国定四期(昭和8~15年)
国定四期(昭和8~15年)(サクラ読本)国定四期(昭和8~15年)(サクラ読本)国定四期(昭和8~15年)(サクラ読本)
(サクラ読本)
国定五期(昭和16~20年)
国定五期(昭和16~20年)(アサヒ読本)国定五期(昭和16~20年)(アサヒ読本)国定五期(昭和16~20年)(アサヒ読本)
(アサヒ読本)