旌表制度と教育振興策

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 明治二三年(一八九〇)一〇月、「新小学校令」が公布され、引き続き「教育ニ関スル勅語」が発布された。それを受けて明治二八年、「小学校教科用図書改正」がなされ、初めて文部大臣検定済の修身教科書が発刊された。この女児の修身書は「修身女訓」といい、良妻としての心得、子どもの養育や賢母としての資質などが説かれた。これは郷土稗田村出身の文学博士、末松謙澄が著作したものであった。
 
写真2 末松謙澄著の修身女訓(明治26年)
写真2 末松謙澄著の修身女訓(明治26年)

 つまり明治後半の教育は、公立小学校を中心に、制度的にも内容的にも日本の初等教育が確定した時期といえる。
 このような経緯の中で、明治三四年、福岡県では学校教育の振興、教育内容の充実化のために、独自の学校表彰制度を設け、優秀な小学校に旌表旗(せいひょうき)を授与し、その栄誉をたたえた(「旌表」とは徳行をほめ表す意味)。表彰の基準については、就学率、出席率、施設、学習指導、児童の学業成績などを評価基準とし、特に就学率・出席率を重くみて表彰した。
 旧豊前国で最初の旌表校の栄に輝いたのは、明治四〇年の行橋尋常小学校で、旌表旗とともに表彰状が贈られた。旌表旗を授与された学校は「旌表小学校」として、学校や地域住民の名誉とされ、その後も旌表学校にふさわしい教育が続けられていった。
 
写真3 行橋小学校へ贈られた旌表旗表彰状
写真3 行橋小学校へ贈られた旌表旗表彰状

 行橋町議会議員柏木勘八郎の日記には、このことに関して次のように記されている。
 
三月三〇日午前八時過 佐野校長ト県庁へ出頭 一〇時旌表旗授与セラル。
三月三一日旌表旗携帯、佐野校長ト午前八時八分ノ列車にて博多駅出発、遠賀川ヨリ降雨、一二時過行橋駅ニ着ス、煙火・楽隊歓迎人多数ニテ行事ヲ通過、尋常小学校ニ帰省ス、学校ノ内祝宴ニ臨ミ帰宅ス。

 
市内でのその後の旌表旗受賞校は次の三校である。
 大正一四年 仲津尋常高等小学校
 昭和一四年 今元尋常高等小学校
 昭和一九年 今川国民学校
 この旌表制度については、一時期廃止論を含めたいろいろな意見が出されたが、結局昭和二〇年度までに県下で一三八校を表彰して、この制度を終えた。