明治期の教員

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 大正二年(一九一三)一〇月発行の『京都郡是』によると、明治四五年四月調査では、郡内の尋常小学校には一六八の学級が在り、教員は一一五人と報告されている。その内訳をみると、正教員の割合は六割八分で、あとは代用教員などによって指導が行われていた。ところが高等小学校については、一八学級に対して二〇人の正教員が採用されており、尋常小学校の正教員の採用が急務であった。
 当時の教員の給与は次のとおりである。
 
尋常小学校高等小学校
 本科正教員一七円四一銭八厘二一円一六銭七厘
 専科正教員一〇円六厘一三円
 准教員一〇円七二銭五厘一八円
 代用教員 九円四銭八厘一一円三三銭四厘
              (『京都郡是』より抜粋)

 
 この待遇が、当時の勤労者の中でどんな位置付けになるか定かではないが、各町村とも教育の充実に大いに力を入れてきたことは間違いなく、かなり高い給与だったと推測される。
 さらに児童の成績に関する項で「本郡の児童の成績を考査すると、他郡市に比して遜色あり。これの上進を図るには小学教育が最大の急務。故に次の項を奨励し以って健全なる発達を計らんとす」と記されており、その対策として人格、研究、用具改良など七項目示されているが、いずれも教師にとって重要な課題である。高い報酬の代償として教師に対し厳しい要求も行っている。
 この他、小学校卒業後の児童へのかかわり方として、
 「良く補導の任を尽くし、深遠無窮の皇恩を奉体し、以て忠良なる国民を養成する目的にて、今後益々次の事項を奨励実施せんとす」とし、
 一、補習教育を行うこと
 二、時々卒業生を召集すること
 三、青年会、婦人会等の活動と一緒に卒業生の補導の任に当たること
等々、教師への大いなる期待と課題が込められている。