当時の教員の給与は次のとおりである。
尋常小学校 | 高等小学校 | |
本科正教員 | 一七円四一銭八厘 | 二一円一六銭七厘 |
専科正教員 | 一〇円六厘 | 一三円 |
准教員 | 一〇円七二銭五厘 | 一八円 |
代用教員 | 九円四銭八厘 | 一一円三三銭四厘 |
(『京都郡是』より抜粋) |
この待遇が、当時の勤労者の中でどんな位置付けになるか定かではないが、各町村とも教育の充実に大いに力を入れてきたことは間違いなく、かなり高い給与だったと推測される。
さらに児童の成績に関する項で「本郡の児童の成績を考査すると、他郡市に比して遜色あり。これの上進を図るには小学教育が最大の急務。故に次の項を奨励し以って健全なる発達を計らんとす」と記されており、その対策として人格、研究、用具改良など七項目示されているが、いずれも教師にとって重要な課題である。高い報酬の代償として教師に対し厳しい要求も行っている。
この他、小学校卒業後の児童へのかかわり方として、
「良く補導の任を尽くし、深遠無窮の皇恩を奉体し、以て忠良なる国民を養成する目的にて、今後益々次の事項を奨励実施せんとす」とし、
一、補習教育を行うこと
二、時々卒業生を召集すること
三、青年会、婦人会等の活動と一緒に卒業生の補導の任に当たること
等々、教師への大いなる期待と課題が込められている。