明治三六年(一九〇三)八月、京都郡会は修学二カ年の乙種農学校として、延永村の行事農学校と豊津村の豊津農学校の二校を設立した。その後、明治四〇年六月、両校を合併する形で修学三年の京都郡立農学校を設置することとした。しかし当分の間、行事・豊津両校跡で授業を行い、翌四一年七月、泉村崎野(現在の行橋高校地)の校舎の一部の落成と同時に移転した。したがって、明治三八年の第一回卒業式は、行事で三七名、豊津で三四名卒業という変則的な送り出しであった。
明治四三年一〇月三〇日、新校舎がすべて完成。この日を京都郡立農学校は開校記念日とした。そして、大正一二年(一九二三)、郡制廃止により県に移管。ここに福岡県立京都農学校として、京築地域の農業、酪農、果樹園芸などの普及振興を担う専修校となった。
その後、昭和二四年には福岡県立豊前高等学校、三〇年には県立豊前農業高等学校、平成三年には県立行橋高等学校と校名を改称し、現在に至っている。