実業補習学校

316 ~ 316 / 840ページ
 大正期の京都郡教育の特徴は、行橋、延永、今元、稗田の各小学校に高等科を併置し、二八年間続いた行事高等小学校を廃校にしたことである。
 一方政府は、日清・日露の戦いを契機にした産業界の画期的な興隆に伴って、各種教育制度の改革を行い、実業教育に力を入れ、補習学校制度の充実を図ってきた。
 当時小学校は修身、読書、習字、算術などを中心とする教育内容であったが、小学校卒業後の青少年たちを対象に、夜間の学校として農業学習中心の定時制の補習学校を開設した。
 大正九年(一九二〇)の実業補習学校規定によれば、「小学校の教科を卒へ、職業に従事する者に対し、農業に関する知識、技能を授けるとともに、国民生活に須要なる教育をなす」として、これまでの小学校教師の兼任から、専任教師の配置による教育を行った。
 実業補習学校は多くの場合、尋常小学校または高等小学校に併設され、教科目は修身、習字、算術と実業科である。実業科の内容は、地方の実情によって工業、商業、農業その他に分けられ、学校によって随意選択出来るようになっていた。
 行橋地区の実業補習学校の創立は次のとおりである。
 また、大正八年当時の小学校設置状況は表4のとおりである。
 
 明治四三年一一月創立 蓑島実業補習学校
 大正六年  五月創立 椿市実業補習学校
 大正六年  五月創立 今元実業補習学校
 大正七年  九月創立 行橋実業補習学校
 
表4 大正8年行橋地区の小学校
学校名教員(人)児童生徒(人)
尋常科高等科
椿市小7130140
稗田小7125540
延永小7127650
行橋小2331,009110
蓑島小5119924
今元小12248667
仲津小9240861
泉小7129135
今川小7131238
祓郷小7132123
注:祓郷小には草場、袋迫、東徳永区の生徒が通学していた