国民学校令の公布

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 昭和六年(一九三一)、満州事変に端を発した日本軍の大陸侵攻は、ついに日中戦争へと発展。国内では軍需産業が異常な発展ぶりをみせ、軍部独裁の影が一層濃厚となり、衣食住、言論思想、教育などの国家統制が一段と厳しさを増した。
 こうした戦時体制下にあって、昭和一六年三月、「教育審議会」の答申に基づいて、およそ七〇年間にわたって展開された「小学校令」に替わって、「国民学校令」が同年四月一日より施行された。
 その第一条には、「皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的練成ヲ為スヲ以テ目的トス」と定め、その主な内容は次の三点である。
 
1 名称に国民という言葉が使われているとおり、国家主義的な国民教育を主眼とした。
2 義務教育年限を初等科六年、高等科二年の八カ年とした。
3 学習教科を国民科、理数科、体錬科、芸能科、実業科(高等科のみ)の五科とした。

 
 これによって小学校の名称が国民学校となり、義務教育は八カ年に延長された。これは明治四〇年に六年制の義務教育が成立して以来の改革である。