二 青年会

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 『京都郡誌』に記載されている「青年会」の組織状況は表5のとおりである。
 
表5 青年会組織状況(大正8年4月調査)
会名所在地創立年月会員数(人)
今元村青年会今元村元永明治43年4月356
蓑島村青年会蓑島村明治44年2月114
延永村青年会延永村上津熊明治44年4月189
椿市村青年会椿市村長尾明治44年5月142
稗田村青年会稗田村下稗田明治44年8月90
仲津村青年会仲津村稲童明治45年2月125
行橋町青年会行橋町大橋明治45年4月322
今川村青年会今川村宝山大正2年1月225
泉村青年会泉村福富大正4年1月207

 では、青年会は、具体的にどのような活動をしてきたか、「行橋青年会」の例をとって述べる。
 行橋青年会は明治四五年四月、当時の行橋尋常小学校佐野一夫校長の主導のもと、玉江庫八郎、佐々木磐太郎両氏の尽力により、会員四六名にて設立。会長に柏木勘八郎氏、副会長に佐野一夫氏を選任。
 その第一事業として六月一五日、発会式並びに通俗講話会を大行舎にて開催。来賓など五八名、会員一三一名、一般入場者八〇〇人という大盛況。内容は学者や僧侶の講話、音楽・芸能人によるステージで、来会者には大いに満足を与えたとの報告があった。
 続いて第二回講話会を一一月二三日、旧縁寺で開催。講師に商業学校長などを招き、商業に関する概念説明や店員の心得、商業道徳などについての講話を拝聴。これもすこぶる盛況だったと報告されている。
 大正二年四月二六日には、京都郡城井村出身の南極探検隊学術部長の武田輝太郎らを招いての学術講演会を大行舎にて開催している。講師は武田のほか、白瀬隊長、シャックルトン中尉。会場は立錐の余地なく、入場制限を行うほどの大盛況ぶりだった。
 また第四回講演会は一二月一四日に開催。会員による発表と、当時の井上貢行橋町長や梅野駿二京都郡長の講話を拝聴している。
 大正三年五月には会員相互の意志の疎通を図るため、設立以来二カ年の経過報告、将来の方針、会員の叫び声を一括して、「行橋青年会誌」第一号を発刊した。
 なお『福岡県教育百年史』によると、大正一一年四月現在、県下には三八二の青年団が組織されており、市長や郡長を会長とする各郡市の連合会も組織されている。その中で、京都郡青年会は大正六年七月、一七八二名で誕生と記されている。
 その事業としては補習教育、体育会、共同貯金、実習田試作、図書共同購入、講演会、農産物品評会、敬老会、植樹、竹林経営、競犁会、月報発行、修養日設定など、多彩な活動を展開している。