国防婦人会

322 ~ 322 / 840ページ
 大正三年発刊の『京都郡是』に掲載されている「戸主会婦人会」は、その後部落や村を単位とする「婦人会」へと発展したが、昭和八年、満州事変勃発を機に国策として軍部の指導により、昭和九年「大日本国防婦人会」を結成した。
 この組織は、軍部の強力な支援により婦人層の戦時協力を推進させるために結成したもので、軍の積極的な支持を得て、結成以来急速に会勢を伸張し、会員の増加をみた。
 当時の記録によれば、行橋町においても昭和一一年九月二二日、高場小倉連隊区司令官臨席の下に、行橋小学校にて「大日本国防婦人会行橋分会」(会員一五〇〇名、会長徳田伊勢次郎町長)の結成を行い、左記宣言を決議した。
 
宣言
、世界に比なき日本婦徳を基とし、益々これを顕揚し、悪風と不良思想に染まず国防の堅き礎となり強き銃後の力となりましょう。
、心身共に健全に子女を養育して皇国の御用に立てましょう。
、台所を整え如何なる非常時に際しても家庭より弱音を挙げないようにいたしましょう。
、国防の第一線に立つ方々を慰めその後顧の憂を除きましょう。
、母や姉妹同様の心をもって軍人および傷病軍人並にその遺族、家族の御世話をいたしましょう。
、一旦緩急の場合慌てず迷わぬようにつねに用意をいたしましょう。