三 仏山翁贈位の記念事業

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 明治一二年九月二七日、七〇歳で逝去した村上仏山は大正五年一一月一五日、宮内省から「正五位」が追贈された。この贈位を祝う顕彰事業が行われ、詩歌俳句の記念集も発行された。
 大正七年一月一九日の門司新報には「村上仏山翁贈位念会」という次のような記事が掲載されている。
 
 京都郡教育会主催にて贈従五位
 村上仏山翁の贈位記念会を計画し、来る一一月一五日、行橋尋常高等小学校内にて挙行する由。当日の行事は、贈位報告式を執行し、仏山翁に関する名士の講演、遺品遺墨を展覧し遺族を招待して贈位の祝賀会を挙ぐる。なお、記念事業として翁の小伝及び著名の遺稿を収集編纂して書冊を作り且つ仏山文庫を建設する。また、この機会に仏山翁贈位に関する詩歌を広く募集し印刷して会員及び吟咏者に頒つ。同会に関する総ての事務及び吟咏稿の受付は京都郡役所内仏山先生御贈位記念会事務所にて取扱う。

 
 京都郡教育会の呼びかけで寄せられた詩歌は、漢詩六七編、和歌六二首、俳句七九句に達し、村上仏山翁御贈位記念詩歌集は『寵光余影(ちょうこうよけい)』という題名で大正七年一一月に発行された。
 同書はA3判和綴じの七四ページの冊子だが、寄稿者は、地元京都郡が最も多く八四人、ほかに築上、田川、企救、小倉、中津など近郊の在住者や福岡県内、東京など総計二〇八人にのぼった。
 幕末まで盛んだった漢詩は明治以降、廃絶に追い込まれる状況にあったが、京都郡では大正期に入っても漢詩が盛んに詠まれた。同書を編集したのは、末松謙澄の兄末松房泰や豊津中学校の漢文教師 緒方清渓、広木天村、京都郡教育会の秋満越渓らだった。ほかに県会議員や神職、僧侶、教師、郡書記などが投稿しており、当時の京都郡の文化水準が高かったことを示す出版物である。