明治三九年(一九〇六)、旧仲津村松原に日露戦争の戦勝を祝って「筒井公園千勝園」が開設された。
この筒井公園千勝園は、松原の筒井省吾が私財を投じて建設したもので、五〇町歩(五〇ヘクタール)の敷地には、松や梅、桜など四季の鑑賞樹を植え、池には睡蓮(すいれん)を浮かべて人々に開放した京都郡随一の公園だった。
千勝園では、桜の満開時には出店が並び、近郊から多くの見物客でにぎわった。いろいろな催しが行われていたが自転車競走や自転車の曲乗り大会はなかなかの人気だった。しかし、戦後まもなく米軍基地に接収されて、現在は航空自衛隊築城基地の一部となっている。
この公園をつくった筒井省吾は、安政五年(一八五八)、松原に生まれ、大正四年から昭和六年まで、四期一六年間、京都郡選出の県会議員も務めた。この間、京都高等女学校(現京都高校)の開校や、農事試験場豊前分場の開設などに尽力した。彼は養蚕や稲作、果樹園芸など殖産興業の振興に力を注ぐ一方、詩歌や書も非常に堪能だった。昭和二〇年七月、八八歳で没した。