大橋公園の開設

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 「行橋町にも公園がほしい」という要望があり、昭和一一年度から二カ年で大橋神社(大橋一丁目)の隣接地に「大橋公園」が建設された。
 大橋一丁目の中山グラウンド西北端のテニスコートの中に「大橋公園の碑」が立ち「大橋区有財産壱万七千円ヲ以ッテ施設シ昭和十二年十二月竣工シ、之ヲ行橋町ニ寄付シタリ 昭和十三年三月」と刻まれている。
 当時の徳田伊勢次郎行橋町長は「行橋町長在職中の事業事歴」の中に「寸暇を偸(ぬす)み、郊外散策を慾求する者は漸次その多きを加え小公園の設置の要ありといえども今にわかに町費をもってこの種の施設困難なり。しかるに大橋区および宮市両区二七区長の要望もあり、大橋区積立金をもって施設することを大橋区会に提議、満場一致の賛同を得たり。総工費一万七千円を限度とし昭和十一年に第一期工事を、昭和十二年度に第二期工事を施行。敷地(田)一町二反十九歩を買収、敷地埋立の土木工事を施工」という文章を書き留めている。
 なお、この大橋公園は、二年後の昭和一五年、中山グラウンドに生まれ変わることになる。