昭和一五年二月一一日は皇紀二千六百年の紀元節で、日本中で祝賀行事が繰りひろげられたが、この日、行橋町の大橋公園では、京都郡の町村長(二一名)や郡教育会、小、中学校長など一三〇名が参列して中山グラウンド建設の地鎮祭が行われた。
中山グラウンドは、旧泉村竹並出身で大阪市の中山製鋼所中山悦治社長が、京都郡民の体位向上のためにと一〇万円を寄付して建設されたものである。
この年、大橋公園に隣接する農地二町三反余(二・三ヘクタール)を買収。大橋公園用地(一町二反)も合わせて、三・五ヘクタールにグラウンドと公園、進入路を建設した。
中山グラウンド前の中山記念公園の一画、桜の木の下に「中山悦治翁の頌徳碑」が建っており、波乱に満ちた翁の生涯と郷土の発展に尽した数々の功績が、次のように刻まれている。
「中山悦治翁は明治一六年、竹並に生まれ、年少志を抱いて郷を出て、あらゆる人生の数奇を体験し不撓不屈能く運命の機を活かして遂に独力、溶鉱炉建設の大業を遂行し、我国有数の鉄鋼一貫メーカーとして中山製鋼の名を斯界に重からしめた立志伝中の偉大な人である。
翁はまた、愛郷心極めて深く、郷土の文化、産業、社会など各般に亘り尽力され、酪農業、九大英彦山昆虫研究所、県立農事試験場豊前分場、泉診療所、小中学校の後援、道路拡張など翁の特志によって行われたものは枚挙にいとまがない。
特に翁の施設にかかるこの地、中山グラウンドは、昭和二四年六月一〇日、天皇陛下九州御巡行の砌(みぎり)、郡民の奉迎を受けさせられ、酪農牛に親しく御手を觸れさせ給うた光栄の所である。
ここに郡市民、相はかり翁の偉業を偲び頌徳碑を建てて謝恩の微衷を捧ぐ所以である」