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【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (近世後期の出雲歌壇)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 近世後期の出雲歌壇 さの子は当時の出雲地方の文芸の中枢にあった人々と、特に和歌を中心として交流した。,近世出雲地方の和歌に関する状況については、芦田耕一著『江戸時代の出雲歌壇』(二〇一二年、今井出版刊)に,近世後期出雲地方の和歌活動が、出雲大社を中心にして行われていたと見られることは、本報告書所収の芦田報告,前掲の釣月と常悦の活動以来二条家流が中心であった出雲の地に、本居宣長門に学んだ千家としざね俊信(出雲大社別当,さらに富永芳久、千家たかずみ尊澄の精力的活動が加わって、幕末期〝出雲歌壇〟が形成される。   / 近世後期の出雲歌壇
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (二 貞門期―元禄以前の出雲俳人)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 二 貞門期―元禄以前の出雲俳人 「はじめに」で簡単に触れたが、『出雲俳句史』にはつぎのようにある。,彼は実に元禄前後の出雲俳壇を代表すべき俳人で晩年の句風は蕉風に近い。,私が「出雲俳句史」を書いた時、貞享二年、伊勢の大淀三千風が諸国漫遊の途次、石見を経て出雲へ入った折、その,寛文二年(一六二二) 如才編『伊勢正直集』…「出雲国松江住 具足屋如才」、「出雲国同処(松江)中井重正,以上に拠れば、近世出雲俳人の劈頭を飾る人物は、『毛吹草追加』に入集する「出雲之住」の「正盛」である【( / 二 貞門期―元禄以前の出雲俳人
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (一 出雲俳諧に関する先行研究)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 一 出雲俳諧に関する先行研究 これまでの出雲俳諧に関する主な著作・論文に以下のものがある。,・桑原視草『出雲俳句史』(昭和十二年九月、私家版。,なお、昭和五三年四月に、だるま堂限定版として複刻された) ・桑原視草『出雲俳壇の人々』(昭和五十六年八月,』が通史として重要であるが、同書は、近代以前の出雲俳諧について、大変厳しい評価を下している。   ,(『出雲俳句史』「第一編 明治以前 第一章 概説」)  ただし、当時、著者の桑原氏が参照できた資料には / 一 出雲俳諧に関する先行研究
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2015 (不昧公の出雲焼)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2015 / 不昧公の出雲焼 不昧公の時代、長岡住右衛門貞政によって再興された楽山焼では、伊羅保、三島、御本といった, 十八世紀後半から十九世紀にかけて、全国各地の窯が京焼の陶工達を招聘して指導を仰ぐ様になるが、出雲焼,というふんわりとした認識で包み込まれ、その結果、一色に染まらない多様なヴァリエーションを持っているのが「出雲焼 / 不昧公の出雲焼
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2015 ([出雲文化活用プロジェクトとは])

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2015 / [出雲文化活用プロジェクトとは] 出雲大社のほど近く、神迎の道に面して居を構える手錢家は、江戸時代前期,をより一層すすめるために、島根大学法文学部山陰研究センター、島根大学附属図書館、手錢記念館が連携して【出雲文化活用,け、『萬日記』と文芸資料のデジタル化を進めるとともに、これまでの蔵書調査によって分かってきた江戸期の出雲地方,の文芸活動を紹介する、【特別企画展 江戸力―手錢家蔵書から見る出雲の文芸―】を開催した。  ,二年目である本年は、体験型ワークショップとして、書のワークショップ 出雲焼に関する講演、一般向けの能 / [出雲文化活用プロジェクトとは]
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2015 (不昧公以後の出雲焼)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2015 / 不昧公以後の出雲焼 不昧公によって育まれた個性と技術はその後も受け継がれたが、明治維新後の楽山と布志名 / 不昧公以後の出雲焼
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (江戸力 〜手錢家蔵書から見る出雲の文芸〜)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 江戸力 〜手錢家蔵書から見る出雲の文芸〜 日 時 平成二十六年十二月十四日(日) 午後一時〜四時半,場 所 島根県立古代出雲歴史博物館講義室 プログラム ・基調講演 「手錢家蔵書から見る出雲,佐々木杏里 (手錢記念館学芸員) 参加人数 三十八名  特別企画展「江戸力〜手錢家蔵書から見る出雲 / 江戸力 〜手錢家蔵書から見る出雲の文芸〜
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 ([出雲文化活用プロジェクトについて])

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / [出雲文化活用プロジェクトについて] 出雲大社のほど近く、神迎の道に面して居を構える手錢家は、江戸時代前期,また、蔵書調査によって少しずつ分かってきた、江戸期の出雲地方の文芸活動を紹介する「特別企画展 江戸力,―手錢家蔵書から見る出雲の文芸―」を開催した。  ,この企画展では、江戸時代、当地でも様々なジャンルの文芸活動が大変盛んであったこと、それらは、出雲大社の,      出雲文化活用プロジェクト実行委員会 公益財団法人 / [出雲文化活用プロジェクトについて]
【島根大】季硯句集『松葉日記』手錢記念館所蔵俳諧資料(一) (三 季硯、冠李の俳諧活動と出雲俳壇)

三 季硯、冠李の俳諧活動と出雲俳壇 PDFで読む 目録  ところで、出雲俳壇といえば、大礒義雄氏,百蘿は出雲大社の社家(千家家の代官役)に生まれたが、その母は手錢家の二代目茂助長定の娘であった。,とすれば、百蘿が京都から出雲に持ち帰った伝書類は、季硯や冠李ら大社の俳人たちの間でも伝授や書写が行われたと,ところで、出雲俳壇の研究として著名な、桑原視草氏の『出雲俳句史』(私家版、昭和12年9月・だるま堂限定版,、昭和53年4月)、『出雲俳壇の人々』(だるま堂書店、昭和56年8月)の両書には、季硯、冠李に関する記述 / 三 季硯、冠李の俳諧活動と出雲俳壇
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (はじめに)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 八雲たつ出雲八重垣妻ごめに八重垣つくるその八重垣を」と書く。,この歌は『古事記』にみられるが、これをもって貫之は出雲を和歌発祥の地だと揚言したのである。,次に、風土記として、『出雲国風土記』が完本として国内唯一残存する(七三三年成立)こと。,だけであり、これは出雲人が郷土を愛することの証しであるといえよう。,そして、出雲大社(杵築大社)が存在すること。
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 ([付記])

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / [付記] 付記 拙著に『江戸時代の出雲歌壇』(今井出版)がある。,出雲地方の和歌研究も行う。,主著 『六条藤家清輔の研究』(和泉書院 二〇〇四年)『出雲国名所歌集―翻刻と解説―』 (ワンライン 二,〇〇六年)『清輔集新注』(青舍 二〇〇八年)『江戸時代の出雲歌壇』 (今井出版 二〇一二年)など。
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (千家俊信)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / もともと『出雲国風土記』に興味をもち、ある機会をとらえて出雲への実地検証を思いついたという。,『出雲日記』によれば、天明六年(一七八六)二月一六日に出雲国に入り、松江を経由して二三日に大社に到着し,そして俊信自身も『出雲風土記解』の注釈を基本にし、千家国造家蔵の写本を底本として諸本を参看した『訂正出雲風土記,宣長は神学上、出雲をすこぶる重要視しており、「八雲たつ出雲の神をいかに思ふ大国主を人はしらずやも」と出雲大社,この後、出雲においても古学が着実に普及していく。
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (富永芳久)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 出雲大社権禰宜。代々北島国造家に仕える社家の家柄である。,芳久の学問的業績としては『出雲国風土記』の研究がある。  ,師俊信の『訂正出雲風土記』の解読を主に、宣長『古事記伝』、岸崎時照『出雲風土記鈔』、内山真龍『出雲風土記解,『出雲国風土記』に関わるものに『出雲国名所歌集』(初編、二編)があり、ともに全国の本屋からの刊行である,芳久はまた出雲歌人だけの歌集を編纂している。安政三年に『丙辰出雲国三十六歌仙』を刊行する。
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (釣月法師)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 出雲大社に奉納した歌集『清地草』(すがぐさ、すがちぐさ、とも。,これが詠まれたのは出雲下向以前である。,出雲での釣月の活動は「島重老翁の略伝」には「出雲国は二条家の詠歌流行して、釣月あり常悦(注、小豆沢。,此僧正統なり」とあり、出雲歌壇の中心的な人物となったのである。,また、「大社八景」の和歌を出雲大社に奉納している。
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (三 元禄期―風水の俳歴)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 三 元禄期―風水の俳歴 談林期から活動を見せる出雲俳人に、風水(?~宝永六年)がいる。,出雲国日御碕(ひのみさき)の神官で、とくに鬼貫と親交があったことが知られている。,・江水編『元禄百人一句』(三月序)に、発句一句(「出雲 風水」)入集。,宝永五年(一七〇八) ・東北旅行より出雲へ帰る。『出雲俳句史』につぎの真跡短冊の図版が載る。,十里香松峰の序に「空原舎風水は出雲国 日御崎の神官也。
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (七 化政期―浦安と有秀)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 七 化政期―浦安と有秀 この時代の出雲俳諧について、『出雲俳句史』はつぎのように記述する。,(『出雲俳句史』「第一編 明治以前 第一章 概説」) 幕末時代には松江に山内曲川、裏辻耕文があり、杵築,(『出雲俳句史』「第一編 明治以前 第一章 概説」)  右の評価は、句風を基準にしたものであるため、,そうした俳壇の風潮と出雲俳人も無縁ではなかった。,その中には、出雲俳人が制作した俳諧一枚摺であっても、京都の蒼?
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (おわりに)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 手銭記念館所蔵俳諧資料(二)―」(『湘北紀要』三五号、二〇一四年三月)、及び同氏の講演「俳諧史の中の出雲,』(今井出版、二〇一二年三月)第二章「江戸時代前、中期の出雲歌壇」に詳しい。  ,「手銭家蔵書と出雲の文芸活動」において言及された。  ,   〔付記〕    本稿は、手銭記念館特別企画展「江戸力 手銭家蔵書から見る出雲の文芸,―歌壇史上の意義を中心に―」(二〇一四年一〇月一三日)の講演内容に、シンポジウム「手銭家蔵書から見る出雲
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (四 享保期―節山と季硯、冠李)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 四 享保期―節山と季硯、冠李 この時期は、これまでの出雲俳諧史では、いわば空白期であった。,『出雲俳句史』は、つぎのように述べる。,(『出雲俳句史』「第一編 明治以前 第一章 概説」)  この「中絶」時期の資料として、元文四年の年記,旅好の一つれはやし年の梅  雲州大社 冠李 (沾耳坊編『七十子』寛保三年跋)     出雲  大社,同書は四季別に部立てがおこなわれており、四季の各部に「出雲州 /大社連中」が入集している。
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2015 (はじめに)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2015 / はじめに 楽山焼と布志名焼は併せて「出雲焼」とも呼ばれるが、その成り立ちから志向するところまで、全く,そこで、館蔵資料を基に、不昧公と茶陶という視点から出雲焼について、考えてみたい。
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2015 (終わりに)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2015 / 終わりに 出雲焼の流れを辿ると、不昧公の存在の大きさに改めて気づかされる。  ,不昧公の功罪については、これまでも様々に検証され述べられてきたが、少なくとも、出雲地方の文化の多くは、,―「雲州蔵帳」の名茶器―』 畠山記念館 二〇〇一年  『京焼』 京都国立博物館 二〇〇六年  『出雲焼,』 出雲文化伝承館 二〇一四年  『伝世品に見られる布志名焼の刻印と銘款』 阿部賢治 二〇一四年
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (千家尊孫)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 歌は出雲大社の上官千家長通(一七四七~一八一九)の教えを受けたとされているが、俊信の可能性が大いにある,・・鶴山社中蔵」「出雲国杵築・・鶴山文庫」とある。,本書は出雲国人が詠んだ歌を収めたもので、歌人は三四四名、一三二〇首から成り、歌人の内訳は、出雲大社の神官,・出雲の神社関係者・松江藩の藩士・豪商豪農と多岐にわたっており、出雲の歌人層の厚さを窺い知ることができる,「書肆弘所」として前掲とほぼ同じ本屋がみえ、さらに「出雲国杵築・・鶴山社中蔵板」と版権者が記されている
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (おわりに)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / つまり、出雲俳壇の地位は、全国的に見ても、「甚だ低くかつた」わけでは、けっしてない。  ,とすれば、本稿第一章で触れた『出雲俳句史』の出雲俳諧に対する厳しい評価は見直されて良いのではないか。,むしろ、出雲の俳諧は、もっと評価されて良いものと考えるものである。,安永八年 (1779) 蝶夢、出雲に来る(「雲州紀行」)。,冠李をはじめ、出雲・伯耆・但馬・石見の俳人が多く参加する。
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (五 宝暦期―空阿と百蘿、手錢家)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 転機が訪れたのは、百蘿(広瀬氏、百羅とも記し、茂竹庵と称した、享保十六年~享和三年)が去来系の俳諧を出雲,百蘿が京都で空阿(去来甥)のもとに通ったのは宝暦八年七月から約四ヶ月間、また出雲で百蘿が嵐白に与えた伝書,百蘿は、出雲大社の社家(千家家の代官役)に生まれたが、その母は手錢家の二代目茂助長定の娘である。,『出雲俳句史』は、以下のように記す。,(『出雲俳句史』「第一編 明治以前 第三章 天明前後」)  『出雲俳句史』には、百蘿が空阿と接触したことは
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (さの子の文芸活動と蔵書)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 芳久は、出雲国人の和歌を集めた三部作『丙辰出雲国三十六歌仙』(安政三年(一八五六))、『丁巳出雲国五十歌撰,』(同四年)、『戊午出雲国五十歌撰』(同五年)を上梓している。,そして「五十歌仙のしりへがき」が件の『丁巳出雲国五十歌撰』跋のことと見られる。,手錢家蔵書には、千家尊孫の『類題真璞集』『類題八雲集』、富永芳久の『出雲国名所歌集』『丙辰出雲国三十六歌仙,』『戊午出雲国五十歌撰』、千家尊澄の『はなのしづ枝』『松壺文集』『歌神考』など、近世後期出雲歌壇で生まれた
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (パネルディスカッション)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / そして、実際に、手錢家の蔵書には、百蘿が出雲に帰ってから、出雲の人に与えた『蕉門発句十五味』(図版5),出雲という場合、ここでは大社ということに限定しているのではなく、出雲地方の和歌というように広く理解していただきたいのですけれども,さて、『出雲国風土記』は、多くの風土記が作られたといわれていますけれども、完全な形で存在しているのは出雲国,皆に知ってもらいたいという感じでもって、このように『出雲国名所歌集』を作る。最初は出雲大社ですね。,これが富永さんの大きな業績で、ほかに『出雲風土記仮字書』とか、『出雲国名所集』などがあります。
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (六 安永・天明期―雪淀と手錢家)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 六 安永・天明期―雪淀と手錢家 先にも引用したが、『出雲俳句史』には、つぎようにある。,(『出雲俳句史』「第一編 明治以前 第一章 概説」)  右において「此時代を代表する」と評価された雪川,『出雲俳壇の人々』につぎの指摘があるのは、雪川たちもその例外ではなかったことを示している。,(『出雲俳壇の人々』「文化・文政前後 松平雪川」)  「彼等の指導にあたった」とされる小栗旨原(享保十年
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (千家尊澄)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 当然のことながら、出雲の歌集にも多く採用され、父尊孫の編纂した『類題八雲集』に二四首入り、芳久の『出雲国名所歌集,また尊澄は『はなのしづ枝』という出雲歌人だけの歌集を編纂したであろう(編者が明記されていないのであるが,本書は芳久の『丙辰出雲国三十六歌仙』を批判して刊行の翌年に編纂したという説があるが、芳久との関係からみてどうだろうか,尊澄としては、和歌発祥の地は出雲であるから歌神は素盞嗚尊であるし、出雲大社の祭神大国主命でなければならなかったのである,出雲の歌壇に関わる逸話を取り挙げよう。
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2015 (古楽山)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2015 / ~一六九四)が弟子加田半六らを同行して萩から出雲入りし、延宝七年(一六七九)に開窯したのが始まりと言われる,ばれるようになるのは不昧公時代も後期以降になってからで、それまでは「御山焼」「御立山焼」「権兵衛焼」「出雲焼,図3 古萩茶碗  楽山焼で、伊羅保など高麗写しの作品が多く作られるようになったのは、権兵衛が出雲,ととや写茶碗(「出雲ととや 銘さゞ浪」 酒井忠以箱書)(図6)は、形も土色もしっとりと柔らかく小振りで,図6 ととや写茶碗 銘『さゞ浪』(出雲焼 酒井忠以箱書)
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 ([四 終わりに])

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / [四 終わりに] 手錢家は、酒造業を中心に商業を営みつつ、特に松江藩や出雲大社とも深いつながりを有していたが,そこからは更に、手錢家の周囲に位置する出雲の歌壇、俳壇の動き、また散文文芸を享受する人たちのありようまでを
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (四)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 出雲地方の歌人から和歌百首を集め、石見の柿本神社(現、益田市の高津柿本神社)に奉納しようというのである,「国造出雲俊勝」以下、春二十首、夏十五首、秋二十首、冬十五首、恋十五首、雑十五首(6)の百題百首を百人,が詠じ、あくまでも常悦の自分の人脈に沿った人選とはいえ、当時の出雲の主要な人物を網羅した感があり、壮観,図版6 「高角社奉納百首和歌」 図版7 「高角社奉納百首和歌」 近世後期の出雲歌壇は、,小田切尚足・朝日郷保といった松江藩重臣(8)、千家・北島両国造家以下、出雲大社に関係する人々も多く出詠
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (はじめに)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 併せて、出雲俳諧に関する先行研究を検証した結果についても簡単にまとめておきたい。
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 ((一)三代季硯~五代有秀の時代)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 京都で二条家流の和歌を学び出雲にも来たり住んだ釣月(万治二年(一六五九)~享保一四年(一七二九))を師,百蘿は出雲大社国造千家家の代官役であった広瀬家の出身で、京都に出て俳諧を学び、当時の著名な俳人たちと交流,出雲に帰ってからは、俳諧のほか、和歌、神学、国学などを人々に教え、また国造北島家の学問師範も務めた。,俳諧仲間たちが集って『追善 はな華けし罌粟』(文政四年(一八二一)刊)を編んで追悼したことからも、彼が出雲俳壇
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2015 (婚礼に関するそのほかの資料)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2015 / そのおおくは、普段から連句や歌会などを共に楽しんでいた商家、豪農、松江藩士、出雲大社の社家の人々からのもので
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (はじめに)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 出雲大社と深い関わりを有する手銭家が、出雲歌壇の中でどのような地位を占め、和歌と俳諧を自らの内部にどのように
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 ([二 文芸活動と蔵書])

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / つには、藩の本陣をも命ぜられる格の商家に求められる教養という点があったと考えられるが、それに加えて、近世出雲
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (三)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / 釣師内存、八雲之地出雲ニ残ストノ念願也。,また、釣月の人物像や出雲での最初の居所である西代の持円寺(慈円寺)、また松井幸隆の子の才能が乏しかったことなど
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 (展示出品リスト)

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / #160; 画像2  画像3  -->   出雲国名所歌集,#160;     画像  -->   戊午出雲五十歌撰,#160; 蓮のうてな        -->   出雲筵
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 ([一 手錢家歴代と蔵書形成])

【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014 / [一 手錢家歴代と蔵書形成] 手錢家は初代の喜右衛門長光が、貞享三年(一六八六)、白枝(出雲市高松町
【島根大】百蘿追善集『あきのせみ』手錢記念館所蔵俳諧資料(三) (二 広瀬百蘿について)

広瀬百蘿について PDFで読む 目録  はじめに記したように、百蘿は去来・空阿の伝授を出雲,その人物や伝授について、詳しくは桑原視草氏『出雲俳句史』(私家版、昭和12年9月・だるま堂限定版、昭和,53年4月)、同氏『出雲俳壇の人々』(だるま堂書店、昭和56年8月)と前掲大礒氏著書に譲るが、ここでは,広瀬嘉内信睦の嫡男として出雲国簸川郡杵築町に生まれ幼少にして頴悟好学、京都に出でて神学及和漢の学を修め,(『出雲俳句史』)   父は信睦 母者手銭茂助女 春信翁若冠より学事を好み弟亘人正昌に家を譲りて上京
【島根大】手錢有秀句文集『もくづ集』手錢家所蔵資料紹介(二) ((付記))

追善華罌粟』-手錢記念館所蔵俳諧資料(五)-」(『山陰研究』第八号、二〇一五年一二月)、「俳諧史の中の出雲,・大社・手錢家」(『平成26年度出雲文化活用プロジェクト報告書』))におおいに助けられました。  ,また、伊藤善隆氏、島根県立古代出雲歴史博物館の岡宏三氏には多大なご助力、ご助言をいただきました。
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧) (維顕)

安政四年(1857)3月11日)、従四位上(賀茂位、文久元年(1861)12月19日)    賀茂官: 出雲介,(賀茂官)、出雲介(賀茂官、文久三年(1863)3月25日)
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧) (季壽)

安政四年(1857)3月11日)、正四位下(賀茂位、文久二年(1862)1月12日)    賀茂官: 出雲介,(賀茂官)、出雲介(賀茂官、安政三年(1856)4月7日)
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧) (重芳)

文久三年(1863)3月25日)、従四位下(賀茂位、慶應三年(1867)3月23日)    賀茂官: 出雲守,(賀茂官)、遠江守(賀茂官、天保八年(1837)5月28日)、出雲守(賀茂官、万延元年(1860)10
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧) (季康)

天保十五年(1844)3月24日)    賀茂官: 下野守(賀茂官、弘化元年(1844)12月22日)、出雲守,(賀茂官、嘉永五年(1852)3月27日)、出雲守(賀茂官、嘉永五年(1852)3月27日)
【島根大】河本家稽古有文館蔵『山下水』について―江戸初期松江藩主周辺の和歌事蹟― (一 稽古有文館蔵本の書誌)

また箱書き(裏)には「出雲侯二世宝山院殿綱隆公御國御前/養法院尼公御筆軸物/山下水」と記される。,島根県出雲市の本木佐家資料が平田本陣記念館に所蔵されており、その中には出雲松平家歴代藩主との交流が深かったことを
【島根大】百蘿追善集『あきのせみ』手錢記念館所蔵俳諧資料(三) (はじめに)

報告されたとおり、京都で去来の甥の空阿(大礒氏は去来の庶子かと推測されている)から伝授を受け、それを出雲,百蘿は出雲大社の社家(千家家の代官役)に生まれたが、その母は手錢家の二代目当主である茂助長定の娘であった
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧) (通久)

   DVD: 3    世代: 4世代    改名: 妙殊    実父: 基久    賀茂官: 出雲
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧) (兼篤)

   DVD: 1    世代: 5世代    改名: 乙鶴    実父: 兼弘    賀茂官: 出雲
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧) (氏主)

7    世代: 6世代    実父: 熙氏    子供: 氏廣    賀茂官: 備前(賀茂官)、出雲
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧) (清仲)

   世代: 4世代    改名: 鶴一    実父: 清宣    子供: 清兼、清延    賀茂官: 出雲
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