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【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(季萬)
安政二年(1855)12月22日)、従四位下(賀茂位、安政六年(1859)3月14日) 賀茂官:
美濃
介,(賀茂官)、
美濃
介(賀茂官、嘉永七年(1854)11月11日)
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(重正)
文政七年(1824)3月24日)、従四位上(賀茂位、嘉永三年(1850)12月19日) 賀茂官:
美濃
守,(賀茂官、弘化三年(1846)12月17日)、
美濃
守(賀茂官、弘化三年(1846)12月17日)
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(保徒)
)3月25日)、正四位下(賀茂位、元治二年(1865)3月25日) 賀茂官: 上野(賀茂官)、
美濃
守,(賀茂官)、
美濃
守(賀茂官、元治元年(1864)11月2日)
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(顕廣)
安政三年(1856)12月1日)、正四位下(賀茂位、文久四年(1864)2月8日) 賀茂官:
美濃
介,(賀茂官)、伊予守(賀茂官)、
美濃
介(賀茂官、弘化二年(1845)3月23日)、伊予守(賀茂官、嘉永七年
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(光久)
DVD: 3 世代: 9世代 改名: 祐久 実父: 番久 賀茂官:
美濃
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(番久)
DVD: 3 世代: 8世代 実父: 種久 子供: 光久 賀茂官:
美濃
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(久高)
10世代 改名: 千壽 実父: 良久 子供: 久誠、久福、久充 賀茂官:
美濃
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(保祐)
享年: 61歳 改名: 千松 実父: 保総 子供: 保知、保種 賀茂官:
美濃
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(清國)
: 菊鶴 実父: 清知 子供: 女子、女子、女子、清田 賀茂官: 式部(賀茂官)、
美濃
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(氏名)
享年: 64歳 改名: 亀壽 実父: 氏方 子供: 氏武 賀茂官:
美濃
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(清知)
享年: 74歳 改名: 満石 実父: 清有 子供: 清國、清幸 賀茂官:
美濃
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(保述)
実父: 保原 子供: 保受 養子: 保受死去之後以甥保古為養子譲与一跡 賀茂官:
美濃
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(保原)
、保述、保量 賀茂位: 従五位下(賀茂位、元和五年(1619)10月22日) 賀茂官:
美濃
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(清芳)
実父: 清辰 賀茂位: 従五位下(賀茂位、宝暦十年(1760)12月27日) 賀茂官:
美濃
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(氏武)
以氏足為婿雖譲家督依不和離別令氏足男氏欣継一跡 賀茂位: 従五位下(賀茂位、元禄十六年(1703)12月22日) 賀茂官:
美濃
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(清興)
賀茂位: 従五位下(賀茂位、安永七年(1778)12月22日) 賀茂官: 織部(賀茂官)、
美濃
守
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014
(五 宝暦期―空阿と百蘿、手錢家)
さて、その百蘿の伝書の特徴は、他門に対して一線を画する姿勢であり、
美濃
派批判である。,たとえば、自説を展開した後に、「他門に対して論ずべからず」(『俳諧発句十五味』)とか、「大カタ
美濃
ノ支考,とくに三刀屋の
美濃
派俳人たちは、季硯・冠李たちと親しくしていたのだから、もし百蘿の
美濃
派批判が安易に外,百蘿の追善集である『あきのせみ』(文化二年跋)には、「三刀屋連」の東明や喜朝など、
美濃
派俳人たちも追善句
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(綱清)
、左兵衛 実父: 清廉 賀茂官: 伊予守*(賀茂官、天明元年(1781)12月19日)、
美濃
守
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(庚清)
3月23日)、従五位上(賀茂位、天明七年(1787)4月7日) 賀茂官: 安芸権守(賀茂官)、
美濃
守
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(氏泰)
天明八年(1788)1月21日)、正五位下(賀茂位、寛政四年(1792)1月21日) 賀茂官:
美濃
守
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(顕臣)
卯之若、顕全、司馬太郎、顕磐、敬之丞 実父: 式顕 子供: 顕真、顕盛 賀茂官:
美濃
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(尹保)
為知保之養子相続家督 賀茂位: 正四位下(賀茂位、弘化二年(1845)3月23日) 賀茂官:
美濃
介
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(武清)
明和五年(1768)3月26日)、従四位下(賀茂位、安永六年(1777)3月16日) 賀茂官:
美濃
介
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(季般)
天明七年(1787)4月7日)、従四位下(賀茂位、寛政三年(1791)3月22日) 賀茂官:
美濃
介
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(清喜)
元禄五年(1692)1月12日)、従四位下(賀茂位、元禄十一年(1698)3月29日) 賀茂官:
美濃
守
【賀茂】足汰競馬会雑記
(安政五年 五日乗尻)
五日乗尻 原本(0034)へ 同年五日雨天 五日乗尻 一番 左 勝 雅楽大夫 季忠 本田
美濃
守殿馬,一 所司代(一日不参、五日)本田
美濃
守御出。奉幣拝見。
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(保爵)
享保十八年(1733)1月12日)、正五位下(賀茂位、元文三年(1738)1月12日) 賀茂官:
美濃
守
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014
(四 享保期―節山と季硯、冠李)
図版1 短冊(節山) 後述するように、大社の俳壇には、はじめは
美濃
派、のちには去来系の俳諧が入っているが,さらに、冠李の俳諧活動については、これまで、
美濃
派の雲裡坊編『蕉門名録集』(宝暦二年刊)への入集が、大礒氏,されることは、この時期(百蘿が去来系の俳諧を出雲に持ち帰る以前)には、大社と三刀屋の俳壇はまだ未分化で、ともに
美濃
派
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(重成)
宝暦八年(1758)6月21日)、従五位上(賀茂位、宝暦十三年(1763)1月12日) 賀茂官:
美濃
守
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(清廉)
左衛門少尉(朝廷官、明和二年(1765)9月13日)、播磨介(朝廷官、延享三年(1746)10月9日)、
美濃
守
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(季ー)
天明三年(1783)12月22日)、正四位下(賀茂位、寛政元年(1789)4月5日) 賀茂官:
美濃
守
【島根大】季硯句集『松葉日記』手錢記念館所蔵俳諧資料(一)
(三 季硯、冠李の俳諧活動と出雲俳壇)
そこで、管見の限りではあるが、当時の俳書を閲した結果、
美濃
派の洗耳(沾耳)坊(生没年未詳)の俳書に、出雲俳人,また、大社から20km程度南東に位置する三刀屋では、当時、
美濃
派の俳人が活動していた。
【賀茂】足汰競馬会雑記
(安政五年 足汰乗尻)
時比白雲 一日足汰乗尻 紅栗毛珍敷早馬 倭文御庄 上々 一 往久 能登守 海氏 本田
美濃
守殿馬
【賀茂】足汰競馬会雑記
(嘉永七年 五日乗尻)
浄衣代順吉大夫信直 五番 左 持 備前介 保皆 八幡枝尭太郎 代越前介季言 右
美濃
守
【賀茂】足汰競馬会雑記
(安政三年 五日乗尻)
代要之介大夫清村 六番 左 持 守一大夫 俊氏 池ノ音九郎 代二番右代伯耆介海氏 右
美濃
守
【賀茂】足汰競馬会雑記
(安政六年 五日乗尻)
起幸代 貴布祢々宜 右 初左門大夫 保富 馳出入直 代順吉大夫信直 五番 安志庄 左 勝
美濃
守
【賀茂】足汰競馬会雑記
(安政三年 足汰乗尻)
片岡祝 中 五 静平 申吉郎大夫 顕之 中ノ彦四郎 申吉郎大夫 貴布祢々宜 中下 八 命久
美濃
守
【賀茂】足汰競馬会雑記
((2) 五日乗尻)
勝負 持 持 持 勝 勝 勝 持 持 持 名乗 近江介 備前介 伊予介 尾張 左衛門大夫 美作介
美濃
守,季壽 清村 信直 顕聰 右 勝負 勝 名乗 伊予介
美濃
守,右 勝負 勝 勝 名乗 監物大夫 主税之介大夫 若狭介
美濃
守
【賀茂】足汰競馬会雑記
(万延元年 足汰乗尻)
七 命久 貞彦大夫 誠季 同 権兵衛 代采女大夫成久 右 貴布祢々宜 中 七 康久
美濃
守
【賀茂】『賀茂袮宜神主系図』解説 新古系図 流(名前一覧)
(清立)
(朝廷官、明和元年(1764)閏12月20日)、式部少丞(朝廷官、安永二年(1773)8月16日)、
美濃
守
【島根大】季硯句集『松葉日記』手錢記念館所蔵俳諧資料(一)
(季硯句集『松葉日記』――手錢記念館所蔵俳諧資料(一)――)
すなわち、季硯をはじめとする大社の俳人たちは、百蘿がもたらした去来の伝を継承しつつ、三刀屋の
美濃
派の俳人
【賀茂】足汰競馬会雑記
((1) 足汰乗尻)
左馬之丞大夫 主水大夫 宮内大夫 名前 保必 保賢 重季 清明
美濃
国,八 四 評価 中 中 中上 中下 中上 中 中 中 中 中 名乗 胤一郎大夫 宮内大夫 久米若大夫
美濃
守,右近大夫 駒之介大夫 豊前介
美濃
守 蔵光大夫 内記大夫 名前 氏胤 季昌 季備 重正 成城 季輝
【島根大】百蘿俳文集『さりつ文集』手錢記念館所蔵俳諧資料(九)
(はじめに)
竿秋、嘯山、移竹、蝶夢などと交わり、あるいは貞徳や貞室、鬼貫、言水等の系統の俳人たちとも遊び、さらには
美濃
派
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014
(六 安永・天明期―雪淀と手錢家)
繰り返しになるが、これは大社の去来系でも三刀屋の
美濃
派でもない俳諧である。
【島根大】百蘿追善集『あきのせみ』手錢記念館所蔵俳諧資料(三)
(二 広瀬百蘿について)
隠逸的な生き方は、百蘿のもともとの気質によるとともに、去来・空阿の伝授を拠り所として、当時流行していた
美濃
派
【島根大】出雲文化活用プロジェクト報告書2014
(パネルディスカッション)
どうしてこのことが重要かと申しますと、百蘿が去来の伝を持ち込むまで、大社の俳人たちは、三刀屋の俳人たちと同様、
美濃
派,その支考の流れを汲む人たちは
美濃
派といわれる一派を形成していて、その
美濃
派の俳諧が出雲には入ってきていたらしい,三刀屋の俳人たちは、そのまま
美濃
派だったのですが、大社の俳人たちは去来系の俳諧を受け入れ、その後もその
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