読み下し

近藤勇書簡

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尚々小山萩原氏え書状も差し出し申さず候間、
恐れながら宜敷く願い上げ候、先頃下拙共武術の義
格別の訳を以って上覧 仰せ出だされ候えども、
俄に御発駕にて御延引相成り申し候、亦々
御老中衆より御一覧之有るべくの旨
一 昨十八日 仰せ出だされ候、此段御風聴申し上げ候
         以上
御熟精筆章謹んで、拝
誦仕り候、殊に御名作等御差添
有り難く拝見致し候、陳れば、去二月
分襟一別以後念入の御礼
の書簡も差し出し申さず、深く多罪
恐縮の至りに候、先は其御地弥(いよいよ)
御勇健在らせられ御起居
恭賀奉り候、随って、当方一統異ならず
憚りながら、御安心下さるべく候
一未だ洛陽にて穏かならざる事累卵の如く、
兎角幕府讒口紛々沸騰
仕り、依って昨年以来両度御
上洛遊ばされ候えども其御趣意
未だ聊(いささか)も御成功成らず、只々空
敷(むなしく)御滞留在らせられ漸々
諸侯も反覆の色顕し候
折柄、俄の御発駕 仰せ出だされ
夫々有志諸侯よりも是非
とも御滞京中内外の
御所置遊ばされ候様、御建白
之有り候え共聊も、御採用にも
相成ず、随って下拙履中よりも
再三閣老衆え罷り出で前条の
形勢柄申し上げ候、只々口を以って能く御諭に
て御治世成り行き致方御坐候趣
亦大坂まで御警衛として罷り越し
閣老衆大目附衆と之  仰せ聞かされ
候、此先の御所置等殊の之外
齟齬致す事も御坐候間、御月
番酒井雅楽頭様迄参殿
仕り御目通りにて外夷鎖港
の御所置、亦候(またぞろ)長州等御裁判
の御所置切迫仕り、此侭(このまま)御東下
相成り候えば幕府衰運
挽回覚束なく候間、我々共義
速に離散御暇願い上げ奉り候処、
頻に御諭しにて未だ洛陽御手薄
に御座候間厳敷く相成り候迄、相勤め
くれ候様御頼み之あり、之により、
やむをえざる事に候、然るに十六日
天保山より、御乗船相成り、御東下
相成り申し候、内には大奸日々相諏り
外には驕慮の五大洲の凌海を
受け、幕府は因循姑息苟安
の謀のみ之によって、御国体殆(ほとんど)言へからず
瓦解志明の色顕し、併しながら、
只々臣たる道を守り楠
公宋の岳飛の志に続き致し度候、
尚申し上げたく義は筆紙に
尽くしがたく候、下拙事兎角御用
向繁多にて燈下相認め乱
筆御免伏して希い奉り候
            不具
五月廿日        近藤勇
  児嶋鹿之助様
  橋本 道輔様
 
(封筒 表)
 
小野路村  児嶋鹿之助様
            京都  近藤勇
 無事御請
 
(封筒 裏)
 
新選 (角印)
 組
 五月廿日出   金子入