読み下し

近藤勇書簡

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分襟一別以来
公用に周旋憶わず御不音
多罪の到り、東方より数度
御書面に預り繰り返し拝誦候、
弥(いよいよ)御勇健起居成られ
恭賀奉り候、随って野子方
一統変わらず、陳ば旧臘東
下遅滞無く拝顔を得、且
相替わらず御厚情相成り是亦、
忝く謝奉り候、其節当今
模様彼是御高論相伺い
命の如く漸々指迫り歎(嘆)息
の到り、依って防長御征伐
の義、尾公始メ天下に大兵を
挙げて彼地え出張戦争
決せず、只々長臣三老酷首
一見候、尤も父子伏罪致し
寺院え塾(蟄)居夫までの御所
置にて御引き揚げに相成其跡、
直様正月六日より防長
正邪内乱戦争数度
これ有り候由、亦々京摂の間
には潜伏人追々入り込み候様
子、然ル処関東には右等
形勢貫徹致さず哉、今以て
御所置もこれ無く御上洛
の期限にも相成らず此儘(まま)にて
は追々天下の人心瓦解
致し此節に至り議論に委(ゆだね)り
沸騰亦々如何の儀到来に
候哉も斗(はかり)難く、只□然
慷慨歎(嘆)息のみ、併し此儘
にては遠からず剣槍携え
馳走これ有る哉と恐れ入り候、
猶申し上げ度義は数々御坐
候得共、幸いに土方氏東下
致され候間、是より委細
御聞き取り願い上げ候、憚りながら、
御家各方えもよろしく
先は御不通の御詫びまで、
此のごとく御坐候。不宣
三月十八日              近藤勇
   児嶋鹿之助様