解題・説明
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この書簡は、末尾に「土方氏東下致され候間、是より委細御聞き取り願い上げ候」とあり、『梧山堂雑書』では、慶応元年四月六日の条に、「日野宿佐藤彦五郎より申し越し候、昨夜土方歳三外弐人柳町着の由申し越し候」とあるので、四月五日の帰郷となる。鹿之助は、四月十四日に日野宿の佐藤家で土方に会い上国の様子を聞いている。 おそらくこのときに、土方から渡されたのが本書簡である。前年九月十日の『小島日記』に「近藤勇帰府の趣佐藤より告げ来たり、今日出府」とあるので、このときに近藤勇に面会している。これが、最初の「分襟一別以来」である。 長州勢は禁門の変で大敗し、朝廷は元治元年七月二十三日に、長州追討の議を決定した。八月七日に追討の総督に尾張藩主慶勝を副将に松平越前守を任命した。総督慶勝は十月一日に大坂を発して十六日に広島に着いた。広島の国泰寺で、長州藩三家老の首を実険し、十一月十八日の総攻撃は中止した。元治二年一月四日に総督は広島を出立した。将軍上洛の期限も定まらず、長州処分も未解決でこのままでは、「遠からず剣槍携え馳走これ有る哉と恐れ入り候」と懸念している。
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