【新選組】所蔵資料

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No 年月日 西暦 できごと できごと
1 文政10年 1827 [佐藤家]佐藤家の彦右衛門とマサの長男として生まれる。幼名は庫太、弘化年代は広俊、通称は彦五郎、明治5年からは俊正。
2 天保5年10月9日 1834/10/9 [佐藤家]近藤勇、多摩上石原村で出生。
3 天保6年5月5日 1835/5/5 [佐藤家]土方歳三、石田村で出生。
4 天保6年11月 1835/11 天然理心流目録 小島増吉作
5 天保8年 1837 [佐藤家]正月に父が亡くなった為11歳で名主役を継ぐ。日野本郷3000石を管理した。
6 天保15年 1844 [佐藤家]文化、文政頃の権力争の騒動も奉行所の裁許で決着する。
7 弘化2年 1845 [佐藤家]歳三の姉ノブ、14歳で彦五郎(18歳)に嫁ぐ。
8 弘化2年3月 1845/3 調布玉川絵図出版
9 弘化3年7月1日 1846/7/1 石田村土方隼人方の土蔵流される
10 嘉永1年7月20日 1848/7/20 [小島家]小島鹿之助近藤周助に剣術入門
11 嘉永1年11月11日 1848/11/11 宮川兄弟周助に剣術入門(勝五郎)
12 嘉永2年正月18日 1849/1/18 [佐藤家]日野宿の火災で本陣、脇本陣をはじめ10余軒を類焼、この騒ぎに乗じ暴れた男が斬りつけ、祖母他1名が斬り殺された。治安維持を痛感する。21歳、人生の転機。
13 嘉永2年1月20日 1849/1/20 日野宿佐藤彦五郎家類焼、祖母斬られる
14 嘉永2年9月 1849/9 天然理心流切紙目録 鹿之助宛
15 嘉永2年11月8日 1849/11/8 [小島家]日野宿佐藤彦五郎等来る、剣術稽古
16 嘉永3年 1850 佐藤彦五郎周助に入門(『聞きがき新選組』)
17 嘉永3年 1850 [佐藤家]天然理心流三代目近藤周助邦武に入門する。屋敷東側に佐藤道場を作る。
18 嘉永3年8月 1850/8 [佐藤家]天然理心流「切紙」「目録」を許される。(23歳)
19 嘉永4年 1851 土方歳三周助に入門(『両雄士傳』)
20 嘉永5年3月20日 1852/3/20 [小島家]嶋崎勝太、福田平馬、染谷先生剣術稽古に来る
21 嘉永5年10月27日 1852/10/27 [小島家]嶋崎勝太来る
22 嘉永6年6月3日 1853/6/3 ペリー浦賀に来航
23 嘉永7年 1854 [佐藤家]月1回位江戸試衛舘から近藤勇・沖田総司らが稽古をつけに来る。歳三との出会い。
24 嘉永7年 1854 [佐藤家]天然理心流極意皆伝、近藤勇とは兄弟弟子、町田小野路の小島為政と三人で義兄弟となる。
25 嘉永7年 1854 [佐藤家]自宅長屋門を改造し道場とする。近隣の若者がこぞって入門。幕府が品川沖砲台築造時献金
26 嘉永7年1月2日 1854/1/2 ペリー神奈川沖に来泊
27 嘉永7年2月 1854/2 [佐藤家]天然理心流中極位目録免許 彦五郎宛
28 嘉永7年2月 1854/2 [佐藤家]「中極意」と「極意皆伝」の奥義を許される。(27歳)
29 安政2年9月20日 1855/9/20 [小島家]近藤周助、嶋崎勝太来る
30 安政3年6月12日 1856/6/12 [小島家]日野宿本陣佐藤彦五郎石田村鍋屋伊十郎等来る
31 安政4年 1857 [佐藤家]八王子糸会所肝煎を勤める。(慶応3年4月15日お役御免)
32 安政4年 1857 [佐藤家]近藤勇、彦五郎宅に宿泊し、欣浄寺などで出稽古する。
33 安政4年4月26日 1857/4/26 島崎勇小島家に泊まる。
34 安政4年7月19日 1857/7/19 [小島家]染谷修斎兄来る
35 安政5年8月 1858/8 日野宿八坂神社奉額
36 安政5年8月 1858/8 [佐藤家]牛頭天王社(現・日野八坂神社)へ天然理心流門人の懸額を奉納する。
37 安政6年3月29日 1859/3/29 [小島家]島崎勇来る
38 安政6年4月13日 1859/4/13 [小島家]近藤門人阿部侯藩惣二郎来る
39 安政6年4月28日 1859/4/28 [佐藤家]府中六所宮(現・大国魂神社)へ奉納額の心願。
40 安政6年6月9日 1859/6/9 [佐藤家]近藤周助に同伴して沖田総司来る。(~6月10日)
41 安政6年10月18日 1859/10/18 [小島家]近藤門人惣二郎、嶌崎勇のSOS書簡届ける
42 安政6年11月7日 1859/11/7 [小島家]島崎勇来る
43 安政7年3月3日 1860/3/3 井伊大老、桜田門外の変
44 万延1年 1860 [小島家]つね、近藤勇の稽古着に髑髏を刺繍
45 万延1年3月29日 1860/3/29 近藤勇結婚
46 万延1年4月30日 1860/4/30 [佐藤家]府中六所宮で近藤周助門人による奉納額の参会で、彦五郎が受付と会計を一人で担当する。寄付金を募る。
47 万延1年5月27日 1860/5/27 [佐藤家]府中六所宮、額木三本車三丁、谷保、書家で医者の本田家に届く。(覚庵日記より)
48 万延1年9月5日 1860/9/5 石田村 土方隼人 死去40歳
49 万延1年9月5日 1860/9/5 [佐藤家]歳三の兄、土方喜六40歳で病死。(覚庵日記より)
50 万延1年9月30日 1860/9/30 府中六所宮へ奉額
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