解題・説明
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佐藤彦五郎は、甲州勝沼の戦いに、「春日隊」を結成して臨んだが、新政府軍に敗れる。このとき彦五郎の長男・源之助は一時捕縛され、刀をすべて没収されてしまう。これを気の毒がった歳三が1868年に源之助に送った刀が、葵紋の入った越前康継。歳三にとって源之助は、姉のぶの最初の男子で、よく面倒を見ていた。歳三はこの刀を、京都守護職でもあった松平容保から拝領したと伝わる。背負太刀作りの康継は長さ二尺三寸五分。表銘には「以南蛮鉄於武州江戸越前康継」、裏銘には「安政六年六月十一日於伝馬町雁金土壇払山田在吉試之」「同年十一月廿三日於千住府ト太々土壇払山田吉豊試之」とある。山田在吉、吉豊は、吉田松陰や頼三樹三郎らを処刑したことで知られる七代目山田浅右衛門吉利の子どもである。
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