解題・説明
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本書簡は慶応三年六月廿四日のもので、文中の茨木司、佐野七五三之助、中村五郎、富川重郎の脱局、切腹事件により明らかである。幕府は新選組のこれまでの功績に対して、祿位を与えることになり、近藤はこれを受け見廻組与頭格となり御目見となった。茨木司ら十名は異議を唱え脱走し、京都守護職を頼った。彼らは進退極まった末に四人が切腹し、残り六名は追放となった。 宮川信吉は江戸にて土方歳三の新選組隊士募集の折に中村五郎と同期で入隊した。このため、中村とは比較的仲がよかったものと思われ、中村は道を誤り十九歳にて亡くなり、不便(不憫)であると同情している。宮川はこの事件から約五ヶ月ほどたった、十二月七日の天満屋騒動において二十五歳で命を落としている。
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