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目録ID 002-mp19000a004-200040
タイトル 宮川信吉書簡
タイトル(カナ)
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
差出・作成者 宮川信吉
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛先
宛先(カナ)
宛先(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 慶応3年6月24日(18670624)
作成年終
数量
形状
寸法
寸法(縦) 15.6cm
寸法(横) 89.5cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 本書簡は慶応三年六月廿四日のもので、文中の茨木司、佐野七五三之助、中村五郎、富川重郎の脱局、切腹事件により明らかである。幕府は新選組のこれまでの功績に対して、祿位を与えることになり、近藤はこれを受け見廻組与頭格となり御目見となった。茨木司ら十名は異議を唱え脱走し、京都守護職を頼った。彼らは進退極まった末に四人が切腹し、残り六名は追放となった。
宮川信吉は江戸にて土方歳三の新選組隊士募集の折に中村五郎と同期で入隊した。このため、中村とは比較的仲がよかったものと思われ、中村は道を誤り十九歳にて亡くなり、不便(不憫)であると同情している。宮川はこの事件から約五ヶ月ほどたった、十二月七日の天満屋騒動において二十五歳で命を落としている。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 個人蔵
原資料の所在地 吉野氏(三鷹市)
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 書簡
資料種別
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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