解題・説明
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本書簡は宮川両兄(宮川音五郎・宮川総兵衛)と、柳町御内助(近藤勇夫人つね)に宛てたものである。書簡の発信日は廿九日としか、書いていない。 「先生(近藤勇)過る十二日夜御帰京」の記事が年代を知る手がかりである。菊地明氏は「歴史読本」平成六年八月号でこの書簡を慶応二年三月二十九日と推定しており、これが妥当と思われる。以下、菊地氏の説を記す。近藤の長期出張は、元治元年の江戸行、と慶応元年、二年の広島行である。元治元年は十月二十七日に帰京し、慶応元年は、土方が十二月十一日に出立したことを手紙に書いているので、十二日の帰京はない。二年の広島行は一月二十八日に出発し三月に帰京しているので、時期的に該当する。 なお、「防長一件も追々と御運び相成」の記事もこの時期に合っている。三沢村圓平は土方の郷里のものであろうが、この話と坂中にて歩兵召捕の話については、この書簡からは内容が不明である。
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