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目録ID 002-mp19000b001-200040
タイトル 土方歳三書簡
タイトル(カナ)
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
差出・作成者 土方歳三
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛先 宮川音五郎・宮川総兵衛・近藤つね
宛先(カナ)
宛先(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 慶応2年3月29日(18660329)(推定)
作成年終
数量
形状
寸法
寸法(縦) 18cm
寸法(横) 92.4cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 本書簡は宮川両兄(宮川音五郎・宮川総兵衛)と、柳町御内助(近藤勇夫人つね)に宛てたものである。書簡の発信日は廿九日としか、書いていない。
「先生(近藤勇)過る十二日夜御帰京」の記事が年代を知る手がかりである。菊地明氏は「歴史読本」平成六年八月号でこの書簡を慶応二年三月二十九日と推定しており、これが妥当と思われる。以下、菊地氏の説を記す。近藤の長期出張は、元治元年の江戸行、と慶応元年、二年の広島行である。元治元年は十月二十七日に帰京し、慶応元年は、土方が十二月十一日に出立したことを手紙に書いているので、十二日の帰京はない。二年の広島行は一月二十八日に出発し三月に帰京しているので、時期的に該当する。
なお、「防長一件も追々と御運び相成」の記事もこの時期に合っている。三沢村圓平は土方の郷里のものであろうが、この話と坂中にて歩兵召捕の話については、この書簡からは内容が不明である。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 個人蔵
原資料の所在地 吉野氏(三鷹市)
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 書簡
資料種別 新選組
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
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緯度・経度・高度に関する注記
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