昭島の歴史 年表

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No 年月日表記 西暦 できごと 関連
1 B.C.30000 市北部の立川段丘上に石槍(昭島に最初の人間活動) 29ページ
2 B.C.8000 林ノ上遺跡・上川原遺跡(縄文人の居住始まる) 8ページ
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3 B.C.6000 拝島第三小学校西遺跡(縄文早期末)
4 B.C.4000 西上遺跡・広福寺台遺跡・龍津寺東遺跡(縄文中期昭島縄文人の活動最盛期) 30ページ
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5 B.C.2000 龍津寺東遺跡の敷石住居(縄文後期の遺跡減少・衰退期) 30ページ
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6 B.C.1000 坂上遺跡(縄文晩期の小規模集落) 30ページ
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7 B.C.300 〔この頃、関東地方へ農耕波及〕
8 B.C.300 多摩川中流域には遺跡がほとんど発見されていない
9 古墳時代 400 〔多摩川下流域に大形古墳〕
10 古墳時代 512 この頃、山ノ神遺跡営まれる 9ページ
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11 安閑元年 531 〔大和政権の東国進出〕 9ページ
12 宣化三年(欽明七年) 538 〔多摩川下流域に横穴式石室及び横穴現われる〕 42ページ
13 推古一二年 604 〔この頃、多摩川流域に横穴式石室・横穴が盛行〕 9ページ
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14 大化元年 645 この頃、大神古墳が営まれる 9ページ
15 天武元年 672 この頃、浄土古墳・経塚下古墳営まれる 9ページ
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16 天武一二年 683 〔この頃、武蔵国の国郡の境界が定まる〕
17 和銅元年 708 〔秩父郡より銅が献上される〕
18 和銅六年 713 この頃、多磨郡名公式に定まる 57ページ
19 霊亀二年 716 〔高麗郡の設置〕
20 養老二年 718 養老律令制が施行される
21 養老四年 720 この頃、玉川町火葬墓が営まれる 51ページ
22 天平一三年 741 〔この頃、武蔵国分寺の建立開始〕 50ページ
23 天平一三年 741 この頃、熊野神社東遺跡に集落 11ページ
24 天平宝字二年 758 〔新羅郡の設置〕
25 宝亀二年 771 〔武蔵国、東山道から東海道へ転属〕
26 宝亀二年 771 この頃、啓明学園・偕生園・経塚下遺跡に集落(平安時代前期に継続) 11ページ
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27 延暦一四年 795 〔東国の防人を廃止〕
28 貞観三年 861 〔群盗の横行に対し、武蔵国の郡ごとに検非違使を配置〕 58ページ
29 貞観九年 867 〔右大臣藤原良相、多磨郡の弓削荘の荘園を山城国貞観寺領として寄進〕
30 貞観九年 867 〔この頃、武蔵国に勅旨牧・官牧を設置〕
31 貞観 877 この頃、武蔵七党が形成される。昭島周辺は村山党・西党の勢力下 11ページ
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32 承平五年 935 〔平将門の乱はじまる〕
33 天暦六年 952 大日堂建立の伝説あり 72ページ
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34 安和二年 969 この頃、経塚下遺跡・滝ノ上遺跡・東耕地遺跡に集落 51ページ
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35 久寿元年 1154 〔中山白山神社(八王子)経文に船木田荘名、八王子・日野地域が摂関家荘園〕
36 治承元年 1180 〔頼朝、武蔵国府へ進出〕
37 元暦元年 1184 〔平賀義信、武蔵守となる〕
38 文治元年 1185 平氏一門滅亡
39 建久元年 1190 頼朝、上洛する 63ページ
40 建久六年 1195 頼朝、上洛する 63ページ
41 建永二年 1207 〔幕府、武蔵国荒野の開発にのリ出す〕
42 承元四年 1210 武蔵国の田文を作る
43 嘉祿二年 1226 〔河越重員、武蔵国留守所総検校職に任ぜられる〕
44 仁治二年 1241 〔幕府、武蔵野に多摩川の水を引き水田を開く〕 12ページ
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45 建治三年 1277 昭島市内の現存板碑最上限年代。以後、延徳二年(一四九〇)銘のものまで五十二枚現存 66ページ
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46 永仁五年 1297 この頃の瓦が大日堂下遺跡より出土 12ページ
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47 正和三年 1314 大日堂仁王門の金剛力士像(阿形像)造立。この年以前に浄土寺創建される 74ページ
48 正和四年 1315 大日堂仁王門の金剛力士像(吽形像)造立 74ページ
49 元弘三年 1333 〔新田義貞、分倍河原の戦いに北条軍を破る〕 78ページ
50 建武四年 1337 広福寺に「建武四」の銘の板碑あリ
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