山ノ神遺跡出土月待供養結衆板碑

  • 【文化財】昭島市指定有形文化財(令和4年3月24日指定)
  • 【出土地】山ノ神遺跡(拝島町五丁目先)
  • (保管:昭島市郷土資料室)
旧拝島村エリア 原始~古代・中世の記憶

板碑は、発見時195点の小片に割れていたが、大部分が同一個体として接合・復元された。ただし、上端部を欠き現存最大幅26cm、最長54cm、厚さ5cmの緑泥片岩製である。種字(梵字)は阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩)で、阿弥陀如来の蓮華座から上を欠く。その下中央に「享[  ]廿三日」華瓶を挟んで、右に「月待供養□」左に「結衆□□白」の刻字がみられる。

山ノ神遺跡は、昭島市拝島町三丁目、市の最西端で福生市熊川に隣接する。遺跡は多摩川左岸の拝島段丘上に位置し、標高108m、現河床面との比高差10mである。遺跡は昭和41年(1966)、都営拝島団地建設の際に昭島市教育委員会の調査により、古墳時代後期の竪穴住居跡3軒と、土師器の甕・甑・坏などが多く発見された。その後、平成10年(1998)拝島団地建替え事業に伴い、翌平成11年(1999)東京都教育委員会は、遺跡の存否確認のため、幅2m、長さ12mのトレンチ60箇所を設定、約4120㎡を調査した。その結果、縄文時代、古墳時代、中近世の遺構・遺物が検出された。なかでも遺跡の崖線近くの西端部に密集していたため、同年この部分約3100㎡を昭島市遺跡調査会を編成して本調査した。本板碑はこの調査で発見されたものである。

本板碑は、長寿や豊作を祈願して月を祀った行事に際して、村人が造立した月待供養の結衆板碑である。年号は不明ながら、「享□」がつくものは「享徳」(1452~1455年)、「享禄」(1528~1532年)があり、そのいずれかであると考えられる。

市内には、月待供養や結衆板碑は、この1点しか確認されておらず、当時の民俗信仰がうかがえる希少な文化財である。

  • 山の神月待供養結集板碑

    山ノ神月待供養結集板碑