現況は、中空円筒状把手付き深鉢で、大きな波状口縁の両端に円筒状の把手を配し、土器の上面観は菱形を呈する。文様は口縁に沿って磨消縄文帯がめぐり、波状口縁の波底部から「J」字状文と「逆J」字状文が胴下部にかけて施され、波頂部からは「M」字状文の簡略化された磨消縄文が見られる。把手上部の中空部の周りに環状磨消縄文がめぐり、要所に刺突文を伴う。均整の取れた優美な土器で、称名寺1式土器の典型的要素を備えている。胎上に細砂を含み、焼成良好、色調は暗茶褐色を呈する。胴下部から底部を欠失している。口径(波長部間)19cm、(把手間)24cm、現存高19cm、推定復元高29cm。
称名寺式土器は、神奈川県横浜市金沢区称名寺貝塚出土の土器を標識とし、縄文時代後期初頭の土器である。称名寺貝塚はA~Iの9箇所からなる地点貝塚で、土器のほか銛や釣り針などの骨角器も多く出土し、漁撈活動が盛んであったことを示している。称名寺式土器は、1式、2式に大別され、称名寺1式は、細かい縄文に、太い沈線で「J」字状や「渦巻き」状の磨消縄文を特徴とする美麗な文様を持つが、2式は、沈線間に列点文を施した簡素な文様に変化する。
本土器は、昭和30年代初頭に、龍津寺東遺跡の北側より単独で出土したもので、当時は、称名寺貝塚発掘前で縄文後期に属することはわかっていたが、詳細は不明であった。称名寺式土器が最初に報告されたのは、昭和33年(1958)『館山舵切洞窟の考古学的調査』においてである。
縄文時代後期の称名寺1式土器の特徴を、典型的に備えた優美な土器であり、中空円筒状把手の土器で完全に復元されたものは他に類がなく、土器の全体プロポーションや胴部は円形でありながら、上面観が菱形を呈する造形の妙は卓越したものがある。