旧三井家別邸(啓明学園北泉寮)

  • 【文化財】東京都指定有形文化財(建造物)(平成22年3月23日指定)※学園正門も同時指定
  • 【所在地】東京都昭島市拝島町5-11-15(原則非公開)
旧拝島村エリア 近代の記憶

北泉寮は、現在の首相官邸(千代田区永田町。元佐賀藩江戸下屋敷)のところに明治25年(1892)頃に建築された鍋島直大侯爵の邸宅が原型です。

大正12年(1923)の関東大震災で洋館は倒壊、残った和館は三井八郎右衛門高棟が買い受け、昭和2年(1927)に三井家別荘として現在地に移築し、大幅な増改築が行われました。

建物は、昭和18年(1933)に高棟三男の高維経営の啓明学園に、西隣にあった元「伏見宮別邸」[注1]の敷地・建物と合わせて寄贈されました。

啓明学園は、昭和15年(1940)に三井高維が旧赤坂区の自邸で開設し、同18年から拝島で寮教育を行っていました。寄贈された建物は寮として使用されたほか、戦後は授業などでも使われました。

昭和62年(1987)に「北泉寮」[注2]と命名された建物は木造二階建てです。1階和風客室、2階の居間、寝室などには書院造の流れが認められる一方、1階洋風客室や食堂には近代洋風のデザインが加味されており、全体としては和洋折衷様式です。

[注1] 伏見宮別邸 …… 伏見宮貞愛親王(1858~1923)が軍事演習の際に訪れた拝島が気に入り、大正11年3月建設。滝山を借景とした庭園も。後に三井家別邸に組み込まれた。その後、別邸の一部は啓明学園伏見寮となる。平成8年3月に解体、建物の一部と庭園が現存する。

[注2] 北泉寮 …… 北は三井北家(三井高維)の北を、泉は住友家(英子夫人の母方の実家)の屋号泉屋に由来。

  • 南からみた北泉寮

    南からみた北泉寮

  • 永田町当時の北泉寮(鍋島報效会所蔵)

    永田町当時の北泉寮(鍋島報效会所蔵)

  • 昭和6年「拝島村全図」(北泉寮加筆)三井家拝島別邸と伏見宮家別邸が現在の啓明学園。

    昭和6年「拝島村全図」(北泉寮加筆)三井家拝島別邸と伏見宮家別邸が現在の啓明学園。