旧宮沢村の字名にちなむ経塚下遺跡は、昭和37年(1962)に発見され、その後、新奥多摩街道建設などの事前調査として昭和51年(1976)に本格的に発掘されました。
その結果、古墳1基、平安時代の竪穴遺構10軒、近世の陶器片などが確認され、昭島では比較的大きな遺跡であることが判明しました。
平安時代の遺構からは土師器[注1]、須恵器[注2]や鉄製品、また、鍛冶関係の鉄滓や鞴羽口[注3]など多くの遺物が発掘され、中でも「風字硯」[注4]の発見は注目に値します。
この遺跡から発見された各時代の遺物は約1万点にも及び、時代的には石器時代から近世に至る長い時代にわたっています。この地で展開された人間活動の一端を物語る貴重な歴史的資料です。特に平安時代の遺物は、当時の人々の生活の実態を示す、まとまった資料として学術的な価値が高いといわれています。
[注1] 土師器(はじき) …… 弥生土器に続く赤褐色素焼の土器。
[注2] 須恵器(すえき) …… 古墳時代~平安時代の陶質土器。ねずみ色の堅い素焼で、多くはろくろを用いた跡がある。
[注3] 鞴羽口(ふいごはぐち) …… 鞴は古代から金属の精錬に用いた送風機。羽口は製鋼の際、熱風を吹き込み、または溶解した鋼を取り出す孔。
[注4] 風字硯(ふうじけん) …… 「風」という字のごとき長方形ないし方形をなし、前方に海、後方に陸を備え、裏面の後方に二脚をつけた硯。