福厳寺

  • 【所在地】東京都昭島市中神町1-3-3
  • 【宗派】臨済宗建長寺派 【山号】智勝山【本尊】聖観世音菩薩
旧中神村・築地村・宮沢村エリア 近世の記憶

見晴らしの良い段丘上に立地する福厳寺は、夢窓国師を勧請開山として、万松和尚により寛永元年(1624)に創建されました。

一方、『新編武蔵風土記稿』に「当院の境内は天正以前、立川宮内少輔が一族の居住せし跡なり」の記述があり、創建される以前の戦国時代末期には、立川氏[注1]が館を構えていたとも考えられます。

文化13年(1816)に中神村の豪商中野久次郎[注2]などにより寄進再建された本堂は、昭和20年(1945)4月4日の米軍空襲により全壊したため、昭和36年(1961)に現本堂が再建されました。また、鐘楼は類焼をまぬがれ今日に至っていますが、梵鐘は戦時中に供出したため昭和36年に再鋳しています。

什物の多くも空襲で焼失してしまいましたが、開創以来の過去帳、谷文晁、山岡鉄舟などの書画、近世以来の文書・記録約150点が現存しています。とりわけ、幕末の住僧光国和尚の弘化4年(1847)の日記は、歴史資料として貴重なものです。

境内には中神地区に関連する各種の碑なども多く見られます。江戸時代の寺子屋や明治初期の中神学校開設にちなむ「中神の教育発祥地」、また、西南の役から太平洋戦争に至るまでの従軍兵士や戦没者名などが刻まれた「表忠碑」「日露戦役忠魂碑」ほかです。

[注1] 立川氏 …… 立川市の普済寺附近に居館を構えていた豪族。天正18年(1590)豊臣秀吉の軍勢により滅ぼされた。普済寺は広福寺、福厳寺の本寺。

[注2] 中野久次郎 …… 中久大尽(なかきゅうだいじん)とも呼ばれる。宝暦年間(1750年)頃から縞買商人として隆盛を誇る。横浜開港により生糸が横浜に直行するようになり衰退した。

  • 石垣が特徴の福厳寺。正面が本堂

    石垣が特徴の福厳寺。正面が本堂

  • 境内の日露戦役忠魂碑

    境内の日露戦役忠魂碑