中神坂交差点は、周囲に見事な石垣が連なっています。玉石が積み上げられた石垣は、昭和6年(1931)頃に完成し、この時に切通し状態の現奥多摩街道が開通し、「中神坂」[注1]と呼ばれました。バスの運行もこの頃です。
福厳寺南面の石垣には「防空壕」の入口があります。太平洋戦争末期の昭和19年(1944)に警防団が掘ったもので、当時は西角にあった別の防空壕と奥でつながっていました。昭和20年(1945)4月4日未明の空襲により、この防空壕入口付近で一人の警防団員が死亡しています。この防空壕は、昭島における代表的な戦争遺跡です。
[注1] 中神坂 …… 『新編武蔵風土記稿』に「洗坂」はあるが「中神坂」はない。中神坂が一般的になったのは、石垣を積んで道を切通し状態にした後と思われる。なお、洗坂は南北方向の坂か。