近世福島村の二代目地頭[注1]の墓。墓碑には「力誉空勢居士覚霊 元和八年(1622)八月念三日」とあります。高さ105センチメートルの墓碑は、緑泥片岩で板碑形をしており、中世の板碑から近世の墓碑への移行期のものとして貴重です。
内藤家は甲斐の武田家に仕えた重臣。武田滅亡後、徳川家康の臣下となり、天正18年(1590)、小田原北条氏滅亡後に領地替となり、福島村の一部(330石)を含む武蔵や上総、下総を領地とし、旗本として幕末まで存続しました。
[注1] 地頭 …… 中世の荘園などで租税徴収や守護にあたった職だが、江戸時代には領主のことを地頭と呼んだ。