内藤源左衛門藤原正頼(正久)の墓

  • 【文化財】昭島市指定旧跡(昭和49年7月10日指定)
  • 【所在地】東京都昭島市福島町2-14-7 広福寺墓地
旧郷地村・福島村エリア 近世の記憶

近世福島村の二代目地頭[注1]の墓。墓碑には「力誉空勢居士覚霊 元和八年(1622)八月念三日」とあります。高さ105センチメートルの墓碑は、緑泥片岩で板碑形をしており、中世の板碑から近世の墓碑への移行期のものとして貴重です。

内藤家は甲斐の武田家に仕えた重臣。武田滅亡後、徳川家康の臣下となり、天正18年(1590)、小田原北条氏滅亡後に領地替となり、福島村の一部(330石)を含む武蔵や上総、下総を領地とし、旗本として幕末まで存続しました。

[注1] 地頭 …… 中世の荘園などで租税徴収や守護にあたった職だが、江戸時代には領主のことを地頭と呼んだ。

  • 板碑形の墓

    板碑形の墓