戦時中、東中神駅北東にあった陸軍航空工廠[注1]の従業員用に建設された大規模な戦時集団住宅街です。「八清」の名称は、建設者である八日市屋清太郎[注2]にちなみます。
長屋や戸建てなど650戸ともいわれる住宅建設には、当時の日本陸軍が大きく関わっています。こうして名古屋からの移転者が多く居住する八清住宅は、太平洋戦争開戦前日の昭和16年(1941)12月15日に竣工式が行われました。
住宅街には市場、浴場、郵便局、映画館、公園などが計画的に配置され、現状でもほとんど当時のままとなっています。
終戦後、住宅は様々な経過を経て個人所有となり、二つの市場・マーケットができるなど、一帯は市域でも一、二を争う繁華街となりました。
今の市立玉川会館(東部出張所)は、元々は八清住宅管理事務所でした。戦後の昭和町警察署を経て現在に至ります。
[注1] 陸軍航空工廠(りくぐんこうくうこうしょう) …… 陸軍唯一の航空機製造部門。名古屋にあった陸軍造兵廠熱田製造所と千種製造所を統合し昭和14年(1939)に名古屋工廠立川兵器製造所として開設。翌15年4月「陸軍航空工廠」と改称。戦後は米軍立川基地に組み込まれていた。
[注2] 八日市屋清太郎 …… 石川県金沢生まれ。建築業。陸軍の後押しもあり八清住宅を建設。陸軍から住宅の管理も委託された。平成13年(2001)死去。