築地の渡しは、築地村と粟之洲村(現八王子市小宮町)を結び、江戸時代からあった多摩川の渡しです。大山道(所沢街道)の往来に利用されていました。
もともとは現在の多摩大橋付近にあり、一帯の築地河原は、幕末に起きた武州一揆[注1]終焉の地としても知られています。
その後、明治30年代の渡船場争いで下流の福島村方に移動し、「福島の渡し」と呼ばれました。この渡しも夏場は舟、冬場は仮橋でした。後には舟をロープで引っ張る方式に代わり、昭和16年(1941)頃まで存続したようです。
戦後になると、上流に多摩大橋が開通する昭和41年(1966)まで、中州と中州を結ぶいくつかの小さな橋(福粟橋の名前もあった)によって多摩川を渡っていました。
この小さな橋を渡ったのが、1964年東京オリンピックの聖火リレーです。昭和39年(1964)10月8日、福生から昭島市域に入った聖火は奥多摩街道を東に進み、福島交番から南下し多摩川を渡りました。2日前に橋の一つが折れるハプニングがありましたが、無事に通過しました。
[注1] 武州一揆 …… 世直し一揆、打ちこわしとも。慶応2年(1866)6月に名栗村(現埼玉県飯能市)で蜂起。数派の一は青梅、羽村、福生を経て拝島から市域を東に進んだ。多摩川築地河原で日野農兵隊らと交戦し終息。