江戸時代初頭に開設された日光街道(八王子-日光)の渡し。拝島村(現拝島町四丁目)と多摩川対岸の作目村(現拝島町六丁目)を結んでおり、今の拝島橋のやや上流にありました。
『新編武蔵風土記稿』に「百姓渡しにて南の方作目村より当村に便りす。冬より春の間は土橋を架して往来の便をなせる」とあるように、水量の多い夏場は渡船で、冬場は仮橋で多摩川を渡っていました。
江戸時代以来、渡しは拝島村が担い、船着き場の営業などは入札で請け負わせていました。大正7年(1918)当時の渡し料金は徒歩一人1銭、人力車2銭、馬一頭2銭でした。
ところで、多摩川には多くの渡しがありましたが、拝島の渡しには、バスが舟に乗って渡るという、全国でも珍しい歴史があります。
川越から拝島までの定期バス路線を持っていた多摩湖鉄道[注1]が、昭和13年(1938)秋には八王子まで路線を延長し、驚くことに拝島の渡しを利用して多摩川を渡りました。多摩湖バスは2,3年間は川を渡り、その後は武蔵野鉄道バスに変わりました。やがて、太平洋戦争末期になると、拝島の渡し自体が廃止され、バス運行は拝島橋完成まで途絶えました。
[注1] 多摩湖鉄道 …… 現西武多摩湖線を開業させた鉄道会社。本来の鉄道よりも広範囲にわたるバス事業で有名。昭和15年に武蔵野鉄道(現西武鉄道)に併合される。昭和10年、狭山自動車商会を合併し拝島駅乗入れのバス路線を取得。昭和13年5月、川越・八王子間に延長。この時の市域のバス停は拝島駅、熊川稲荷前、上宿、拝島役場前、拝島下宿、大師前、渡船場。