拝島の渡し跡

  • 【所在地】東京都昭島市拝島町4-22先
多摩川エリア 近世の記憶

江戸時代初頭に開設された日光街道(八王子-日光)の渡し。拝島村(現拝島町四丁目)と多摩川対岸の作目村(現拝島町六丁目)を結んでおり、今の拝島橋のやや上流にありました。

『新編武蔵風土記稿』に「百姓渡しにて南の方作目村より当村に便りす。冬より春の間は土橋を架して往来の便をなせる」とあるように、水量の多い夏場は渡船で、冬場は仮橋で多摩川を渡っていました。

江戸時代以来、渡しは拝島村が担い、船着き場の営業などは入札で請け負わせていました。大正7年(1918)当時の渡し料金は徒歩一人1銭、人力車2銭、馬一頭2銭でした。

ところで、多摩川には多くの渡しがありましたが、拝島の渡しには、バスが舟に乗って渡るという、全国でも珍しい歴史があります。

川越から拝島までの定期バス路線を持っていた多摩湖鉄道[注1]が、昭和13年(1938)秋には八王子まで路線を延長し、驚くことに拝島の渡しを利用して多摩川を渡りました。多摩湖バスは2,3年間は川を渡り、その後は武蔵野鉄道バスに変わりました。やがて、太平洋戦争末期になると、拝島の渡し自体が廃止され、バス運行は拝島橋完成まで途絶えました。

[注1] 多摩湖鉄道 …… 現西武多摩湖線を開業させた鉄道会社。本来の鉄道よりも広範囲にわたるバス事業で有名。昭和15年に武蔵野鉄道(現西武鉄道)に併合される。昭和10年、狭山自動車商会を合併し拝島駅乗入れのバス路線を取得。昭和13年5月、川越・八王子間に延長。この時の市域のバス停は拝島駅、熊川稲荷前、上宿、拝島役場前、拝島下宿、大師前、渡船場。

  • 明治37年の渡しの図。舟と仮橋の併用

    明治37年の渡しの図。舟と仮橋の併用

  • 舟に乗って渡る小さなバス

    舟に乗って渡る小さなバス(昭和13年頃。加藤清治氏撮影)。船頭が多摩川の水でエンジンを冷やし女性車掌が車体を掃除している。