拝島上水橋から下流は左岸しか歩けません。しばらく注意して歩くと、柵の中に名前もない小さな橋が見えてきます。対岸はゴルフ場となっています。
今でこそ渡ることができない橋ですが、『上水記』(1791年編纂)にも記載されている由緒ある橋です。18世紀の初めに開発された宮沢新田関連の橋で、親村である宮沢村との行き来に使われたと考えられます。
昭和12年(1937)に玉川上水南一帯に昭和飛行機が進出すると、橋から南に向かう道は広大な工場敷地に取り込まれ、やがて橋の機能も失われました。現在は東京都水道局が管理する橋です。