立川市との市境にある松中橋。その南詰(右岸)に二つの取水口は並んでいます。
「柴崎分水」は、武蔵野新田開発が盛んに行われていた時期の元文2年(1737)に許可を得た分水で、比較的遅い開通です。
一方の「砂川分水」は、拝島分水とほぼ同じ明暦3年(1657)の開通で、最初の取水口は現在の天王橋付近にありました。この分水(延長4㎞)開通で、砂川村が五日市街道沿いに東西に広がったともいわれます。砂川分水取水口は明治3年(1870)の分水口改正(統合)により現在地に移ると同時に、下流にある多くの分水口を統合したため「砂川用水」ともいわれます。