拝島分水取水口のすぐ下流の左岸。18世紀の初め、江戸幕府が新田開発を奨励し、現立川市西砂地区には殿ヶ谷、宮沢、中里の三新田が開かれました。この三つの武蔵野新田(村)のために享保5年(1720)に引かれたのが「殿ヶ谷分水」です。殿ヶ谷新田は現瑞穂町殿ヶ谷、宮沢新田は昭島市域の宮沢村、中里新田は現羽村市の人々が開きました。
昭和45年(1970)頃に通水は止まり、阿豆佐味天神社(立川市西砂町5丁目)までの水路は埋められました。水路跡は「殿ヶ谷緑道」として整備され、散歩コースとなっています。
拝島分水取水口のすぐ下流の左岸。18世紀の初め、江戸幕府が新田開発を奨励し、現立川市西砂地区には殿ヶ谷、宮沢、中里の三新田が開かれました。この三つの武蔵野新田(村)のために享保5年(1720)に引かれたのが「殿ヶ谷分水」です。殿ヶ谷新田は現瑞穂町殿ヶ谷、宮沢新田は昭島市域の宮沢村、中里新田は現羽村市の人々が開きました。
昭和45年(1970)頃に通水は止まり、阿豆佐味天神社(立川市西砂町5丁目)までの水路は埋められました。水路跡は「殿ヶ谷緑道」として整備され、散歩コースとなっています。