あらすじ・概要
|
※この冊子資料は現在秋田県立博物館所蔵 当館HPは当館所蔵マイクロフィルムより作成『菅江真澄遊覧記』 真澄は旅をしながら,農民の生活や伝承,習俗などを図入りで書き記し,これらの日記類は,文政5(1822)年に秋田藩校明徳館に献納された。また,出羽六郡の地誌は『雪の出羽路』・『月の出羽路』として,図絵集『勝地臨毫』とともに,献納されている。これらを『菅江真澄遊覧記』と総称している。 真澄の関心は,見聞きしたもの全てに及び,中でも,出羽・陸奥・蝦夷などの辺境の人々に注目し,彼らの生活などを詳しく書き残している。今に伝わる伝承や芸能の,昔の姿を探ってみるのもおもしろい。||菅江真澄 宝暦4(1754)~文政12(1829)年 三河に生まれた菅江真澄は,本名を白井英二といい,のちに秀雄,真澄,文化7(1810)以降に菅江真澄と名乗る。 和歌・和学,漢学・画技,本草学・医学など,多岐にわたる知識や技術を身につけた真澄は,天明3(1783)年より旅の人となる。信濃,越後,出羽,陸奥,蝦夷などを遊歴し,日記・地誌・随筆などの著作を数多く残した。 寛政9(1797)~寛政11年まで,津軽藩校稽古館(けいこかん)の薬物掛りを勤めた後,真澄は享和元(1801)年に秋田を再訪する。 秋田藩主佐竹義和より内意を受けて,藩内の地誌製作に取りかかり,秋田がさすらい人の定住の地となった。 真澄はこの地誌製作の途中,文政12年に病に倒れ,七十六年の生涯を閉じる。
|