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あらすじ・概要
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荒川秀種(あらかわひでたね 1827~1882)は幕末~明治時代の秋田藩武士。平田篤胤に国学を、吉川忠行に洋式兵法と銃砲製造を学び、戊辰戦争では新政府軍の遊撃隊隊長として戦った。維新後は古四王神社などの祠官を務めた。吉川忠行(きっかわただゆき 1799~1864)は江戸時代後期の武士で秋田藩士。藩校明徳館和学方用係、側用人等を務める。天文・地理・兵学にも通じ、私塾惟神館(いしんかん)をひらいて国学、歌道、洋式砲術を教えた。秋田藩初の大砲鋳造、台場築造にも従事し著作に「作例類語」などがある。吉川忠安(きっかわただやす 1824~1884)は幕末の秋田藩士で吉川忠行の長男。境目奉行、明徳館和学方教授、砲術館頭取などを歴任。「開化策論」を著し、尊王思想と西洋の科学・軍事技術の導入、殖産興業を主張した。戊辰戦争では藩主に建白書を提出し、鶴岡藩の征討を決断させた。本作品については詳細不明。秋田県のジャーナリズムの草分けである安藤和風(あんどうわふう 1866~1936)の所蔵だったが、後に秋田県立図書館へ「時雨庵文庫」として一括で寄贈された。
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