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市制五十年新市庁舎竣工記念式典にあたり市民へのご挨拶

千葉市史第一巻(原始・古代・中世) 目次

総目次

総論

1 まえがき

2 位置、面積

3 市域の拡大

第1章 自然環境

第一節 地形―台地・低地・海岸

第一項 地形の概観

第二項 台地とその形成

古東京湾の陸化

下総上位面と下総下位面

千葉段丘

関東ローム層の堆積

海面変化と気候変化

第三項 低地と海岸

低地とその形成

埋立地の造成

第二節 気候

第一項 気温・降水量

第二項 季節風と海陸風

第三節 自然環境の変化とその対策

第一項 植生の変化と都市林の造成

第二項 都市林の必要性とその造成

第三項 自然環境の悪化とその対策

第2章 原始・古代

第一節 石器時代

第一項 石器時代の自然と人類

1 先土器時代

洪積世時代の人類

洪積世時代の関東地方

関東ローム層と人類の足跡

縄文文化の黎明

2 縄文時代

海に囲まれた房総半島と花開く縄文文化

有楽町海進

東京湾東沿岸における貝塚分布の特色

北半部

南半部

貝塚分布の特色

東京湾造盆地運動

東京湾東沿岸の海進海退

奥東京湾東南部の海進海退

縄文時代の動植物

第二項 石器時代の遺跡

1 縄文時代以前の遺跡

2 縄文時代の遺跡の分布

はじめに

遺跡総数と時期的変遷

水系と遺跡の形成

貝塚町貝塚群

遺跡の分布

3 縄文時代の主な遺跡

一 縄文早期の遺跡

Ⅰ 長作城山貝塚(長作町字城山所在)

Ⅱ 清水作貝塚(幕張町三丁目字清水作所在)

Ⅲ 鶴牧貝塚(畑町字鶴牧所在)

Ⅳ 鳥込(とりばみ)貝塚とその周辺(小中台町字鳥込所在)

Ⅴ 向原(むこうばら)遺跡(小中台町字向原及び字古新林所在)

Ⅵ 東田貝塚(高品町字東田所在)

Ⅶ 向の台貝塚(都町 千葉市立都小学校校庭所在)

Ⅷ 加曽利貝塚(桜木町京願台 加曽利貝塚東傾斜面所在)

二 縄文前期の遺跡

Ⅰ 谷津台貝塚(小中台町五六三番地所在(字谷津台))

Ⅱ 駒形遺跡(高品町所在)

Ⅲ 荒屋敷西貝塚(貝塚町荒屋敷所在)

Ⅳ 木戸場(きどば)貝塚(都町字木戸場所在)

Ⅴ 宝導寺台貝塚(都町字宝導寺台所在)

Ⅵ 小食土(やさしど)辰ケ台貝塚(小食土町字辰ケ台所在)

三 縄文中期の遺跡

Ⅰ すすき山遺跡(源町すすき山所在―湮滅)

Ⅱ 廿五里南貝塚(東寺山町廿五里・殿山ガーデン内所在)

Ⅲ 東寺山貝塚(東寺山町鹿島神社境内及び周辺)

東寺山南貝塚

Ⅳ 荒屋敷貝塚(貝塚町荒屋敷所在)

Ⅴ 加曽利貝塚(桜木町京願台所在)

Ⅵ 蕨立・さら坊貝塚(坂月町蕨立及びさら坊所在)

Ⅶ 月の木貝塚(仁戸名町月の木所在)

へたの台貝塚

Ⅷ 水砂遺跡(平山町東水砂所在)

Ⅸ 長谷部貝塚(平山町主理台、袖が浦カントリー内所在)

Ⅹ 菱名貝塚(平山町菱名所在)

四 縄文後期の遺跡

Ⅰ 長作築地貝塚(長作町築地所在)

Ⅱ 犢橋貝塚(犢橋町米之内貝殻畑所在)

Ⅲ 草刈場貝塚(貝塚町草刈場所在)

Ⅳ 加曽利貝塚(桜木町京願台所在)

Ⅴ 多部田貝塚(多部田町大谷、俗称貝殻作所在)

Ⅵ 矢作貝塚(矢作町貝殻所在)

Ⅶ 野呂山田貝塚(泉町野呂山田所在)

荒立貝塚

Ⅷ 築地台貝塚(平山町築地台所在)

Ⅸ 六通貝塚(大金沢町六通所在)

六通西貝塚

Ⅹ 大膳野北貝塚(大金沢町大膳野所在)

Ⅺ 有吉貝塚(有吉町宮前所在)

Ⅻ 南生実台貝塚(南生実町峠の台所在)

上赤塚貝塚

ⅩⅢ 誉田高田貝塚(高田町中芝所在)

五 縄文晩期の遺跡

Ⅰ 犢橋貝塚(犢橋町米之内貝殻畑所在)

Ⅰ 犢橋貝塚(犢橋町米之内貝殻畑所在)

Ⅱ 園生貝塚(園生町長者山所在)

Ⅱ 園生貝塚(園生町長者山所在)

Ⅲ 台門貝塚(貝塚町台門所在)

Ⅲ 台門貝塚(貝塚町台門所在)

Ⅳ 加曽利貝塚(桜木町京願台所在)

Ⅳ 加曽利貝塚(桜木町京願台所在)

第三項 生活と文化

1 縄文時代の衣食住

一 食糧

Ⅰ 食糧の種類

軟体動物

脊椎動物

植物

Ⅱ 食糧獲得の方法

採集

狩猟

漁撈

Ⅲ 調理方法

Ⅳ 貯蔵方法

二 住居

三 衣類と装身具

2 縄文時代の精神生活

土偶

石棒

祭祀遺構

土面・土版等

埋葬

風習

第四項 社会と集落

1 貝塚のとらえ方

一 貝塚は「ごみ捨て場」か

二 貝塚は集落である

貝塚内集落説

集落内貝塚論

三 貝塚集落のとらえ方

地域対象について

集落と遺跡の区別

露営地の把握

集落遺跡の類別

貝塚集落の二類型

2 貝塚集落の変遷

一 貝塚集落の生成期(縄文早期・前期)

縄文早期の様相

縄文前期の様相

二 貝塚集落の発展期(縄文中期・後期)

縄文中期の様相

縄文後期の様相

三 貝塚集落の消滅期(縄文晩期)

3 食糧の確保

一 貯蔵形態の変遷

二 生産形態の変遷

生成期の漁撈活動

発展期の漁撈活動

消滅期の漁撈活動

4 製塩と干貝加工

一 縄文時代の土器製塩

二 製塩遺跡の分布

三 保存食糧としての干貝

点在(点列)貝塚(小型貝塚)

馬蹄形(環状)貝塚(大型貝塚)

5 生産の分業化と交易

一 石材の原産地

二 集落間の分業

三 社会的な結合関係

第二節 弥生時代

第一項 弥生時代の遺跡

1 弥生時代の遺跡の分布

2 弥生時代の主な遺跡

Ⅰ 新田山遺跡(坂月町字新田山)

Ⅱ 中の台遺跡(千葉寺町中の台)

Ⅲ 星久喜遺跡(星久喜町字枇杷首台二七一番地ほか)

Ⅳ 大森第二遺跡(大森町字西ノ花二二二番地ほか)

Ⅴ 車坂遺跡(貝塚町一、五二一番地ほか)

Ⅵ 城の腰遺跡(大宮町宮城の腰)

Ⅶ 椎名谷遺跡(誉田町字椎名谷)

Ⅷ 桜木町遺跡(桜木町)

Ⅸ 弁天台遺跡(葛城町字弁天台)

Ⅹ 上の台遺跡(幕張町字上の台)

第二項 農耕の開始と自然環境の変化

第三節 古墳時代

第一項 氏族社会の成立と遺跡の分布

1 氏族社会の成立

古墳文化の始源

前方後円墳成立の系譜

古典に記録された氏族社会

2 古墳時代の遺跡の分布

はじめに

一 古墳の分布について

Ⅰ 地域的様相

Ⅱ 時期別の様相

[前期古墳の分布]

a 前方後円墳の様相

b その他の前期古墳

[後期古墳の分布]

a 前方後円墳の様相

b 方墳の様相

c 円墳群の様相

d 横穴群

二 集落址の分布

Ⅰ 全体的様相

Ⅱ 時期別の様相

[前期集落と古墳の様相]

[中・後期の集落と古墳の様相]

3 古墳時代の主な遺跡

一 古墳時代前期の遺跡

(古墳)

Ⅰ 七廻塚古墳(生実町字峠ノ台所在)

Ⅱ 大覚寺山古墳(生実町大覚寺山所在)

(集落遺跡)

Ⅰ 車坂遺跡(貝塚町車坂所在)

Ⅱ 星久喜遺跡(星久喜町所在)

Ⅲ 宮崎第一遺跡(宮崎町所在)

Ⅳ 大森第一遺跡(大森町二二二番地周辺所在)

Ⅴ 大森第二遺跡(大森町西の花ほか所在)

二 古墳時代後期の遺跡

(古墳)

Ⅰ 聖人塚古墳(加曽利町聖人塚所在)

Ⅱ 兼坂周溝遺構群(都町兼坂所在)

Ⅲ 兼坂古墳(加曽利町字兼坂及び都町字寒風台所在)

Ⅳ 新山古墳群(加曽利町字新山所在)

第三号墳

第一号墳

第二号墳

Ⅴ 荒久古墳(青葉町荒久 畜産試験場内所在)

Ⅵ へたの台古墳群(仁戸名町へたの台所在)

第一号墳

第二号墳

第三号墳

第四号墳

第六号墳

古墳の展開について

Ⅶ にとな古墳群(仁戸名町所在)

第一号墳

第二号墳

第三号墳

第四号墳

第五号墳

第六号墳

Ⅷ 中原古墳群(平山町長谷部字中原所在)

第一号墳

第二号墳

第三号墳

第四号墳

第五号墳

Ⅸ 小食土横穴群(小食土町所在)

(集落遺跡)

Ⅰ 稲城台遺跡(東寺山町字稲城台所在)

Ⅱ 西前原遺跡(東寺山町字西前原所在)

第一号住居址

第二号住居址

Ⅲ すすき山遺跡(源町字すすき山所在)

第一号遺構

第二号遺構

第三号遺構

第四号遺構

第五号遺構

第六号遺構

第七号遺構

第八号遺構

第九号遺構

第一〇号遺構

Ⅳ 高品第二遺跡(高品町所在)

Ⅴ 京願台遺跡(桜木町字京願台 加曽利貝塚公園内)

第一号住居址

Ⅵ へたの台遺跡(仁戸名町字へたの台所在)

第一号住居址

第二号住居址

4 氏族社会の集落と文化

一 竪穴住居(二―一三九図参照)

五領式期

和泉式期

鬼高式期

真間式期・国分式期

二 特殊住居

三 集落

五領式期

和泉式期

鬼高式期

真間式期

国分式期

第二項 千葉国造の成立

〔附記〕千葉という名称の由来

第三項 律令国家への胎動

第四節 王朝時代

第一項 大化改新と下総国

第二項 千葉市付近の郡郷

第三項 諸郷の展望

1 池田郷

2 千葉郷

3 三枝郷

4 糟〓(かそり)郷

第四項 千葉寺と古墳

1 千葉寺

鐙(あぶみ)瓦

宇瓦(のきがわら)と文字瓦

瓦塔断片

経筒(きょうづつ)その他

2 荒久古墳

第五項 王朝後半の情勢と平忠常の乱

1 王朝時代後半の情勢

2 平忠常の乱

3 大椎城址とその周辺

一 「中世城址」の存在意義

二 大椎城址の調査

Ⅰ 大椎城址の位置と範囲

第一のネック

第二のネック

第三のネック

Ⅱ 大椎城中核部の輪郭

(1) 「縄張り」と台上遺構

第Ⅰ曲輪

第Ⅱ曲輪

第Ⅲ曲輪

第Ⅳ曲輪

第Ⅴ曲輪

(2) 腰曲輪と物見台

北側面

西側面

南側面

東側面

三 大椎城下と「ねごや部落」

四 立山城址の輪郭

「桑垣地区」の縄張り

「立山地区」の縄張り

五 中世城郭の型式と所属年代

Ⅰ 中世城郭の型式分類

Ⅱ 中世城郭の型式と編年

大椎城址の型式と編年

立山城址の型式と所属年代

六 「大野馬牧」の存在

七 大椎城址と立山城址との関係

第六項 千葉氏の抬頭と妙見信仰

1 千葉氏の抬頭

七星山息災寺

千葉氏と帰化系馬飼集団

2 妙見信仰の源流

3 千葉氏の妙見信仰

第3章 中世

はじめに

第一節 鎌倉時代の千葉

第一項 律令制の動揺と東国

第二項 千葉氏の発生と成長

第三項 千葉氏の荘園経営

第四項 千葉氏と鎌倉幕府との関係

第五項 千葉氏と北条氏

第六項 城下町としての千葉

第二節 南北朝時代の動向

第一項 元弘の変と千葉介貞胤、千田太郎

第二項 建武中興と足利尊氏

第三項 千葉氏の動向

第三節 関東管領と千葉氏の動揺

第一項 関東の守護と鎌倉幕府

第二項 千葉氏胤の時代

第三項 千葉満胤の時代

第四項 香取神宮領と農村の動向

第五項 永享の乱と結城合戦

第六項 千葉氏惣領制の分裂

第四節 後北条氏の下総進出と千葉氏

第一項 千葉輔胤と千葉孝胤

第二項 後北条氏の抬頭

第三項 土気の酒井氏

第四項 長尾景虎の関東侵入

第五項 小田原の落城と千葉氏

第六項 日泰と七里法華

[奥付]