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考古
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銚子市内には、約190ヶ所の遺跡があり、そのうち、約30か所の遺跡の発掘調査を行いました。調査の結果、約28,000年前の旧石器時代以降、この土地で人々が暮らしてきた歴史を、見つかった住居跡や土器などから知ることができます。
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歴史・民俗
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歴史資料では地域における歴史上の事象や人物に関する遺品などを紹介しています。郷土史に関する様々な資料をご覧いただけます。民俗資料では昔の人々の生活や生業に関する遺品を紹介しています。銚子に暮らす人々の生活文化の変遷を伝えてくれる貴重な資料です。
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古写真
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過去の写真展などで使用した写真パネルをデジタル化し、公開しています。銚子の歴史を物語る昔の写真をご覧いただけます。
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金子周次
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金子周次【1909-1977】は、銚子の風景を多く描いた銚子生まれの木版画家。明治42年、銚子町(現銚子市中央町)の履物店武蔵屋に生まれる。一時体調を崩したため美術学校への進学を断念し、職を転々とする。その後、銚子出身の画家・明石哲三と出会い交流を深めたことから、再び絵筆を持つようになり、本格的に木版画を始める。控え目で謙虚な人柄で、元豚舎を改造した天王台の住宅兼アトリエで一人創作に励んだ。
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宮崎丈二
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宮崎丈二【1897-1970】は、武者小路実篤や高村光太郎とも親交のあった詩人で画家。雅号は「冬花亭」。明治30年銚子町生まれ。12歳で進学のため上京。大学に入ったころ武者小路実篤を中心とする「白樺」に刺戟を受け文学に関心を向けるように。大正7年、大学を中退し、武者小路の「新しき村」運動に参加し作品を発表。同年画も始めた。生涯を詩に捧げて世俗的名声を求めず、詩壇や画壇にも頓着しなかった。晩年は銚子市清水町に居を移した。
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渡辺學
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渡辺學【1916-2000】は、銚子の漁民や漁場を題材にした絵を多く描いた日本画家。大正5年、本銚子町(現銚子市浜町)の洋品店に生まれる。中学卒業後、東京日本橋の帽子問屋で働いたのち、東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科に学ぶ。兵役を終えて帰銚後は銚子を離れなかった。1952年外川の腰巻姿の女たちを描いた「黒潮」制作以後、終生一貫して海と生きる銚子の人々を描いた。作品は市内の喫茶店に飾られるなど、広く市民に親しまれた。
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まちなかの文化遺産
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銚子のまちなかで見ることができる石造物や建築物などの文化遺産を紹介しています。例えば庚申塔などの民間信仰の遺物も地域の方々の手で今日まで守られてきた貴重なまちなかの文化遺産です。過去の調査などにより把握しているまちなかの文化遺産は可能な限り掲載していますが、市内各地に無数に点在する文化遺産の全てを掲載しているものではありませんので、今後も随時情報を追加していく予定です。
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岩石・鉱物
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銚子は、周辺では見ることができない恐竜時代の地層を観察できる場所です。これは、古くから何度か大地が隆起しているからです。そのため、2億年前からの様々な時代の地層を観察することができます。また、千葉県唯一の現地性の火山の痕跡も海岸沿いに分布しています。海岸には、利根川や海流によって遠くから運ばれてきた岩石が漂着することもあります。
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化石
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銚子には様々な時代の地層が分布しており、そこからたくさんの化石が産出しています。 東海岸の地層からは白亜紀の海の生き物や陸上の植物の化石が見つかっています。まだ、発見されていませんが、恐竜化石が発見される可能性があるのは千葉県では銚子だけです。 長崎海岸の地層からはたくさんのサメの歯やクジラの化石が見つかっており、「ボーンベット(骨の層)」と呼ばれています。
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動物
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丘陵、谷津、平地、砂浜、磯場など生息環境が多様な銚子では、それに伴った多様な動物が生息しています。大河川・利根川から大地の栄養が注がれる銚子沖は、親潮と黒潮の混合領域でもあり、多様な魚類・貝類・鯨類が集まる世界でも極めて重要な海域となっています。さらには、太平洋に面した日本列島の中でも、特に突き出た銚子半島はアジアとアメリカの両大陸から様々な種のカモメが飛来する世界屈指のカモメの聖地です。
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