資料説明
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1590年(天正18)小田原城攻略の功によって、関東に移封された徳川家康は領内に検地を実施して支配地の把握に努めた。この検地は豊臣秀吉の土地政策で行われた検地で太閤検地ともいわれ、房総各地においては、天正19年から20年にかけて実施されている。 検地帳は、水帳・縄帳などともいい、検地の結果を一村ごとに記録した土地台帳である。検地帳は二部作成され、一部は関係領主が所有し、一部は村の名主が所有したものであり、猿田神社が管理する天正検地帳は名主側に残された検地当時の原本である。 大きさは、縦30.5㎝、横20.5㎝で紙本墨書の冊子装で4冊からなる。 猿田村の検地は、1591年(天正19)9月1日、2日の両日にわたり実施されたものであり、検地役人は清田甚允、案内には猿田村の玄番允、次郎左衛門があたっている。本文は耕作地の一筆ごとの字名、縦横の間数、土地の種類及び等級、面積、取米、土地所有者、耕作者が記されている。 この検地帳は、太閤検地当時における土地の状況、農民や耕作の実態を知る上での重要な資料である。
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